8月の東京はとても暑いので、岩手県に脱出しました。
ブログも夏休みしてしまいました。この間に訪問して下さった皆さん、ごめんなさい。
東京から新幹線で2時間半。乗ってしまえば直ぐですが。。。夏休みのせいか新幹線ホームも子供連れの方が多く、この車両は子供達にも人気のまとです。
着いて数日は36,7度と東京と変わらぬ暑さでしたが、夜は過ごしやすかったです。
友人が東京から来てくれました。
今回の目的の一つは被災地の訪問です。
で、その前に一関、気仙沼の友人も参加して東北の美味しい魚を食べながら、女子会です。
翌日、気仙沼と陸前高田に行きました。
気仙沼は一関から車で約1時間です。
震災以降、夏には必ず気仙沼に行っています。
気仙沼の友人の処に行きました。彼女は「がんばりっこ」という羊毛でマスコット人形を製作し、支援活動をしています。
次に リアス・アーク美術館に行きました。
1994年に開館した美術館で気仙沼湾を見下ろす丘陵地帯にあります。私も初めて行きました。
この建物は早稲田大学理工学部建築学科 石山修武研究室が設計したもので、平成7年に日本建築学会賞を受賞しています。
ここの1階に「東日本大震災の記録と津波の災害史」と題した展示がありました。
後にテレビでもここを紹介していましたが、ぬいぐるみがビニール袋に入って展示されていたのですが、実はこれは流されて重油の水に浸かり匂いは凄かったそうですが、時が経ったせいか、ビニールの袋に入っていたせいか、判りませんでした。
2階にはリアス地域の生活用具などを展示した歴史民俗資料が展示されていて、ちょっと懐かしいものなど、こちらには興味深いものが展示されています。
学芸員の方が書いた説明文やイラストが心癒されるものでした。これを見ているとここで行われるワークショップは楽しいでしょうと思いました。
この他にも収蔵美術作品や若手作家の企画展など、見ごたえある美術館でした。
http://www.riasark.com/
リニューアルオープンした「海の市」に行きました。ここには観光サービスセンター・シャークミュージアム・海産物の物販店・飲食店などがあります。
http://www.uminoichi.com/
震災以前にもよく行ったところです。
隣接した魚市場には2階からまわれて、鰹が水揚げされていました。
「北かつまぐろ屋」でねぎとろ丼を食べました。
「気仙沼まち作り支援センター」に伺いました。田中前4丁目にありました。ここでは防潮堤のことや、復興の課題など色々有意義なお話を伺いました。
アポイント無しで伺ったのですが、とても親切に対応して頂き、嬉しかったです。
お話をしている内にセンター長の方は震災まで美術館にお勤めだったことが判り、心ひかれた学芸員の方のこともお話出来ました。
次に鹿折地区にある「復幸マルシェ」にある小野寺商店に行きました。
こちらも毎回伺うお店ですが、このエリアは嵩上げの盛り土工事が始まっていて、工事現場の中にマルシェが埋もれている状態でした。
これでは訪れる人もいなくて大変だったと思います。
先日移転したそうですが、移転先も2年限りとか、なかなか落ち着いた営業が出来ない中、いつものように笑顔で迎えて下さいました。
今回の目的は今年販売開始された小野寺商店オリジナル商品「海ごはん」というふりかけを購入することでした。
好評発売中!!!
アマゾンでも購入出来ます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA%E5%95%86%E5%BA%97-%E6%B0%97%E4%BB%99%E6%B2%BC%E6%B5%B7%E3%81%94%E3%81%AF%E3%82%93-%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%91-30g%C3%971%E8%A2%8B/dp/B00LQFE5N6
さて次は唐桑に行きました。こちらも被害の大きなエリアです。
ここで牡蠣養殖をして、以前から海を守るには山から考えなければいけないという活動をしていた
畠山さんを訪ねます。
この方はマスコミでも報道されていますので、ご存じの方も多いと思いますが、昭和40~50年代気仙沼湾の環境が悪化して赤潮が発生し、牡蠣が売り物にならないという事態になり、そこで、川が運ぶ森の養分が牡蠣の餌になるプランクトンを育むことから、隣接する岩手県の室根山に落葉樹。広葉樹を植樹する活動を続けて来ました。
今では教科書にも取り上げられ、全国にこの活動は広がっています。
今はNPO法人 森は海の恋人 として活動しています。
この湾の近くに知人が住んでいたこともあり、震災1年後にもここに行きました。
この付近も工事の重機が入っていて、細い峠の曲り道で大型トラックとすれ違ったり、大変でした。
着いた時はもう夕方になっていたせいか、以前行った時より潮が満ちていて道がが冠水していたりでしたが、山側は削っているのでしょうか、平地が作られているように見えました。
この日は気仙沼市内の子供たちが来ていていました。市内でも震災以降海で遊ぶことがなくなり、そんな子供たちが釣りを試みていましたが。。。
海の側に住んでいる子供達が釣りの仕方が判らないようで、安全な海で子供たちが楽しむ機会を与えることも大切なことと実感しました。
湾は昔の穏やかな姿で、何もなければ本当に美しい海です。
ここのエリアは住民合意が早くにとれて、巨大防潮堤は作らないそうです。
防潮堤に関してはなかなか合意が難しく難航しているようです。
畠山さんの息子さんがいらっしゃってお話を伺いました。
http://www.mori-umi.org/
次に陸前高田に行きました。もう陽が暮れかかっていましたが、去年行った時とあまりに変わっていて言葉を失いました。
陸前高田はリアス式海岸の三陸では数少ない平地の広いところです。其の為街がすっかりなくなってしまいました。
昨年訪れた時にも書きましたが、まるで埋め立て工事のような有様で見渡す限り建物は見えず、わずかに被災した鉄筋の建物があるだけです。
一面が巨大工場のように盛り土する土を運ぶ巨大なベルトコンベアーだらけです。
自分が本当に陸前高田にいるのだろうかという戸惑いを感じました。
訪れた数日前に「道の駅」があった場所に復興計画をパネルで紹介する「復興街作り情報館」が開設されました。
高田松原の大きな松の根も展示されていました。
比較的高台に公営住宅などが建設されると表示されていましたが、その数日後の岩手のニュースでは完成時期が計画より更に1年以上延びると報じていました。
同敷地内には追悼 慰霊の場も作られていました。
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kategorie/fukkou/jhk/jhk.html
陽がすっかり落ちて人影もなく、いつになったらここに又、灯りがともるのだろうかと思いました。
一軒家を改装した焼肉屋 のろし で夕食をとりました。本当に普通の家に煙の排気筒が各卓袱台についています。ここでは普通の家がないので、こういうことでもホッとします。
すぐ前にあるスーパーイオンですら、プレハブです。
美味しいお肉でした。
帰りは視界1mという霧にも遭遇しましたが、いつもとは違った視点で現状を知ることが出来て、
やっぱり行ってみないと判らないと改めて感じました。
気仙沼には仮設の商店街が色々あって行きたい所、食べたい物も沢山あるのですが、いつも沢山の訪問目的があり、ゆっくり歩けないのがちょっと残念です。
海産物や魚も買いたいと思いますので、次回はそれを目的にしても良いかな~と思っています。
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