2012年7月14日土曜日

気仙沼 キッズルーム おひさま 落成式

九州は大雨で大変な被害とのことですが、皆さんの所は大丈夫ですか?
自然災害の規模が大きくなっているように思います。

朝7時にはもう室温30度、東京も今日は暑かったです。


沢山の皆さんに応援して頂いている気仙沼の「おひさま」の園舎が完成し、
今日落成式が行われました。


やっと、駆け回って遊べますね。
代表の里見さんも、保母の皆さんも今までのご苦労が実りましたね。

まだまだ、これからですが、こんなに明るい園舎なら気持ちも前向きになれますね!
以下、気仙沼の高橋さんからの報告です。
子供たち、本当にうれしそうです。

お陰様で今日無事「おひさま」の落成式を迎えることができました。



本当にとても素敵な園舎で子供たちも親御さんたちも先生たちも大喜びでした。

これからは預ける方も預かる方も安心ですし、何より子供たちがのびのびと過ごせるので嬉しいですね。



ここまで来れたのも本当に支援して頂いた皆様のお陰です。

本当に心より感謝申し上げますm(_ _)m



理事長里見さんも挨拶でここまで支援して頂いた方々にお礼とこれから本当に「おひさま」を支援して良かったと思って頂けるように努力して行きます〓と申しておりました。



園舎を支援して頂いた山形の那須建設の会長さんの挨拶では、里見さんに見せられたあるご婦人の手紙に感動して自分も純粋な気持ちで支援したいと思ったとおっしゃっていました。そのご婦人は「自分は72才で月12万円の年金暮らしだが、月5千円づつ「おひさま」に支援したい」という内容の手紙だったそうです。私はそのことは初耳だったのでビックリと同時に感動しました。

本当に皆さんもそうですが、何の見返りも期待せず純粋な気持ちで支援していただいた結晶が「おひさま」なのだなぁと確信しました。

きっと子供たちはこの伝説を忘れず「感謝」の気持ちを持ってスクスク育ってくれるだろうと思います。



これからもどうぞ見守り続けて下さい。よろしくお願い致します。



子供たちが嬉しい気持ちを乗せて風船を飛ばしました

かわいかったです

アトラクションで「厄除け厄払い」の獅子舞もありました。

(東京から来て頂いたただじゅんさん)



雨も式中ザーっと降りましたが風船を飛ばす時はピタッとやみ、本当に運のいい「おひさま」です。



全てに感謝。ありがとうございました。


2012年7月12日木曜日

ローマ磁器絵付け研修の旅

1995年5月から6月にかけて、1ヶ月ローマに絵付けの勉強に行きました。
当時生徒さんだった方がローマに住んでいたことがあり、その時に習った絵付けの先生を紹介して下さいました。
住む所も彼女の知り合いの方に頼んで下さり、そちらに滞在することになりました。

成田からミラノ経由でローマに行きました。
出入国証明書がいらないどころかパスポートすら見ないで入国完了。パスポートにスタンプがされなかったのはちょっと残念。

ローマ最初の夕食が生ハムメロン、野菜と豆のスープ、生ハム乗せ仔牛のソティーサラダ付、果物のデザート。これからの食事が楽しみなスタートです。

1日目朝7時に近くの市場に行きました。野菜・肉・魚・チーズ・乳製品・ハム・果物・花など色鮮やかでみずみずしいものがいっぱいです。市場の周りには下着や靴などを売るテントのお店もあります。必要な日用品が揃っています。市場はだいたい午前中のみなので、早起きしていきます。

朝食はBARでパンとカプチーノ。早速ローマっ子気分開始です。午後から絵付け教室へ。バス→路面電車→地下鉄を乗り継いで行きます。

バス・地下鉄・電車のチケットは共通で使えます。11枚の回数券が当時15000リラでした。
絵付けの講義料は3時間で1回24000リラ
先生と助手の方が一人。先生のご自宅にアトリエがあります。
物静かな上品なマダム。生徒さんはイタリア人と駐在している日本人の奥さん方
先生はイタリア語のみなので、日本人の生徒さんに判らない所は通訳して頂きました。
皆さんとても親切。材料は日本から持参したものと教室でも買うことが出来ました。

初日から大理石柄の描き方しっかりレッスン開始です。夕食は朝市場で買った材料で自炊です。

2日目も午前中レッスン。イタリアらしいモダンアートを教えて頂きました。昼食は帰宅して家で
お店のお昼休みが終わる3時ころから、他の絵付け教室を探検。その後コンドッティ通りに
散策に
早速電車の中で回数券をすられました。

お借りした家の方にもなにしろ泥棒が多いからと沢山の注意を受けていたのですが。。。上着のポケットに入れていたのを、どうやら電車を下車する時にやられたようです。幸いなことにトラブルはこれだけで済みましたが、早々のアクシデントに緊張の日々がスタートです。

ローマに何十年と住んでいる日本人の方は何度も自宅に泥棒に入られているとか。高価なものは泥棒にあげる為に買っているようなので、買うのをやめたとか。。。私たちの家も数回泥棒が入っているそうで、昼間でも人がいない部屋は3重の窓をしっかり締めておくようにと、何度も大家さんがチェック。木の扉をくり抜かれて侵入されたこともあるとか。ナポリにはスリの養成学校があるとか。いやはやです。
家に居てもなんだか落ち着きません。東京で言ったら自由が丘のような閑静な住宅街なのですが。
家は築100年くらいとか。ローマでは新しい方だそうで、いわゆるマンション形式の家です。
1階だったので、小さな庭があり、日本の野菜を栽培したりなさっていました。お部屋はリビングの他に4部屋あり、大きな家でした。

3日目に地下鉄のストがあり、レッスンが翌日に変更。絵付けの材料店に行ってみました。
standaというスーパーマーケットにも行ってみました。スーパーは加工品や瓶詰・缶詰・調味料・飲料などを売っています。生鮮食品はありません。その頃からスーパーの袋は有料で100リラでした。
近くに八百屋さんがありましたが、とても新鮮とは言えないものばかり。どうしても市場に行けなかったか、買い忘れがあった時ぐらいに利用するような品揃えです。

夕方ご近所の商店街を散策。陶磁器を扱うお店が何軒かありました。

4日目午前中レッスン。BARで立ち飲みでカプチーノを飲みました。イタリアでは、立ち飲みと席に座るのでは同じものでも料金が倍以上違います。朝は立ち飲みでエスプレッソを飲む人が多いです。
午後からショッピングに出かけ夕食はcorsaraという魚介類料理のレストランへ。蛸の前菜が美味しかったです!

5日目は土曜日だったので、市場に買い出しに行き、その後コロッセオ・真実の口・カタコンベ・骸骨寺など観光に行きました。
ランチはVilla Appia Business country Clubというゴルフ場で頂きました。
カタコンベは昔のお墓で地下にあります。フランスでもカタコンベに行ったことがありますが、人骨を装飾品のように様々な形に並べてあり、この感覚はどうにも理解出来ません。街の中心エリアにありました。

6日目Museo Capitolinoに行きました。マイセンやリチャードジノリの人形などもありました。

バスで出かけることにも慣れてきました。
週3日はレッスンに出かけます。最初から頑張りすぎたせいか、オリーブ油に胃がまいったのか体調不良になってしまいました。ご近所に住む日本人の方がそうめんを持って来て下さり、助かりました。

11日目トラムでバチカンに行きました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8

バチカン市国の広場の右手の上に法皇様のお部屋があるそうで、市国にいらっしゃる日はその窓が開いているとか。バカンスの時期などは大勢の信者で混み、入場するのも大変ですが、5月のこの頃は静かでゆっくりと素晴らしい建物や美術品を見ることが出来ました。

12日目大家さんが車でチボリ公園に連れて行って下さいました。伯爵邸や噴水庭園を見学し
街も散策しました。ここの噴水庭園は沢山の様式の噴水があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%86_(%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AA)
大家さんにイタリアの生活話など伺いました。イタリア人はストッキングにもアイロンをかけるそうです。

13日目テルミニ駅付近からGreen Lineという観光バスでカプリ島観光に行きました。ローマからバスで3時間でナポリに着きました。そこから水上ジェットバスで40分。更に小舟に乗り換えます。
青の洞窟は1時間待ちましたが見れませんでした。諦めてカプリ島へ

カプリ島は観光バスがすれ違うのがやっとのうねった道をバスで登ります。ガードレールもないので
怖いです。島には檸檬の木が沢山あります。日帰りのバスツアーは22000リラでした。絵タイルの張った建物が目立ちます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AA%E5%B3%B6
バスで一緒になった日本人の女性はイタリアに着いたばかりでお財布を盗まれて、どうしたらいいか日本人ガイドさんに聞いていました。予定ではベニスやフィレンツエに行く予定だったそうですが、
物価の高い北に行くより、ローマより南側に居た方が良いとアドバイスされていました。

レッスンに通う地下鉄は乗る時に切符に刻印を入れますが、降りる時に切符の回収がありません。
ポッケトに入れてしまうと未使用の切符との区別が判らなくなったりします。駅には使用済みの切符がいっぱい落ちてます。

地下鉄には毎回色々な物乞いの人が乗ってきます。大道芸人のような人から、強引な感じの人まで様々です。勿論車内での物乞いは禁止らしいですが、車掌が時折抜き打ちで切符のチェックをするそうですが、ほとんど来ないのでよくもこんなにパターンがあるものだと感心するくらいいろんな人がやってきます。みんな無視します。収穫がないと、次の駅で他の車両に移動していきます。

ギターを弾いて、フルートを奏でて、アコーデオン、ボスニア人だという人、薬中毒風のおじさん、
ジプシー、頭がおかしい風な人??? 子供だったり、おとなだったり

はじめはびっくりしましたが、日常なのでだんだん慣れました。

ブラジルに住む日本人の絵付けの先生がローマで講習会をやったとかで、その頃はちょっとした和風絵付けブーム。水墨画のような竹の絵や日本のお城の絵をイタリア人が描いていました。
私の先生からなんで日本のお城の絵を描かないのと聞かれました。

18日目3泊4日でフィレンツエに行きました。テルミニ駅から列車で約2時間
ピッテ宮殿の陶磁器美術館行き、その付近のお店を覘きマンマジーナでトスカーナ料理を堪能

フィレンツエは歩いて回れるちょうど良い大きさの街、この頃はまだ中心部にタクシーが入れたので
移動も楽でした。翌日はバスでリチャードジノリの工場内にある陶磁美術館へ(Docci di Meseo)
苦労していった割には、作品数も少ないし、写真撮影も禁止
バス1日券5000リラ

サンマルコ修道院・ダンテの家・サンロレンツオ教会・フィレンツエ歴史博物館・リカルディエ宮殿・
オール サンミケーレ教会など見学

泊まったホテルは前に来た時の下調べをしていたHelvetia & Bristel HOTEL
中心部にあり観光にも便利な所。室内も綺麗でスタッフも感じが良かったです。

レッスンに観光に動き回ったこの旅もいよいよ最後の週に
近所の文房具店で絵付けの材料発見。銀器の安いお店をみつけて購入

絵付けの材料店で帰国後の材料をまとめ買い。

1ヶ月もあっという間。沢山のイタリア式絵付けテクニックを教えて頂き、大満足でした。

簡単なイタリア料理をご紹介します。
ホーレン草のパルメザンチーズ和え
①ホーレン草を半分に切り、塩を入れてゆでて水にさらす。熱いうちにパルメザンチーズをからめる。
②オリーブオイルをかける。好みによって胡椒をかける。

サルビア入りパスタ
パスタをゆで、バター、サルビアであえる

イタリアンソース
玉ねぎ少々・にんにく1かけ・イタリアンパセリ大4・ゆで卵の黄身1個・アンチョビ2・塩漬けケッパー大匙1・ピクルス3をみじん切にする
オリーブオイル100cc・酢小さじ1~2・レモン汁二分の1個・パン粉大匙1~2
上記すべてを混ぜ合わせる
魚料理やゆでた肉、野菜にかけるソースとして使う

イタリア料理は美味しいものが多いですが、意外と作り方は簡単なものが多いようです。

2012年7月8日日曜日

お盆

東京は7月がお盆なので、間もなくですね。

東北は8月にお盆を致します。この時期は離れて暮らす家族が帰って来たり、親戚が集まったりするので、主婦は大忙しです。

街もにぎやかになり、スーパーマーケットは帰省客に振舞うごちそうの準備や、お盆の準備で駐車場に入るのも渋滞するほどです。県外ナンバーの車も多くなります。

家々には盆だなが準備され、初盆の家では提灯が飾られます。

都会ではなくなった習慣が残っています。お供え物も初日、2日目、3日目と変わります。
一関では、餅やおふかし、うどんなど精進料理と共にお供えします。

送り火の日には、平泉で大文字焼きがあります。

昨年から毛越寺の浄土庭園大泉が池で法灯会という灯籠流しが8月16日に行われるようになりました。
これは、震災で亡くなられた方や先祖代々の供養の為など、誰でも参加できます。

灯籠1個 1000円 何個でも申し込めます。

この奉納金は震災孤児や世界の恵まれない子供たちの為に寄付されます。昨年はいわて学び希望基金と国境なき医師団に経費を差し引かずに全額寄付されました。

詳細は下記にてご覧ください
http://www.motsuji.or.jp/topics/upload/1311232276_01.pdf

ユーチューブで去年の模様ご覧になれます。
http://www.youtube.com/watch?v=21enGDO6JNs

気仙沼からの便り 7月号

気仙沼の中村さんからの報告です。
彼女は今、お仕事の研修の為、仙台に行っています。
久々の便りです。

皆様本当にすっかりご無沙汰しています。お変わりありませんか?

  早いもので もう7月。私も仙台に来て3ヶ月。あと残り半分となりました。研究が詰まって 眠れない日もありましたが 気仙沼のみんなを思い浮かべて 頑張っています。


 なかなか 近況も報告できず ごめんなさい〓

 ここに至るまでのいろんなことを お伝えします。

 ①津波で園舎が流された保育所「おひさま」の新園舎ができ 来月から 入園できるそうです! 以前「がんばりっこ*」の売り上げを寄付させていただきましたが 本当に良かったです!
写真は高橋さんが今日撮影してくれました。

 ②南三陸町で津波で犠牲になったペットたちのために 慰霊祭があり その慰霊塔を建てるために「がんばりっこ」の売り上げを寄付しました。慰霊祭には「 つなぎの会」の名前を名簿に載せていただいたそうで柳さんが 慰霊祭に参加して下さいました。
 

③柳さん(震災の手記を本にしてくれた柳さんです)情報でもう1つ。震災以来長野から 柳澤さんという方が 「ちゃんちゃんこ」を編んで送ってくださって昨年のつなぎ市の時もいただいたのですが そのお礼に柳さんが長野に行きました。柳さんが作った「がんばりっこ」をいくつか お渡ししたら とても喜ばれたそうです。

③気仙沼復幸マルシェで「がんばりっこ」が海を越えてお嫁にいったそうです!いよいよ 国際的になってきました!

④気仙沼にも来て みんなを励ましてくれた「やなせななさん」(彼女は尼さんです)の「まけないタオル」のCDとタオルを 売り上げから つなぎの会の被災された方々に配っていました。

歌詞「〓… まけないぞ まけないぞ 首にも頭にもまけないタオル 半端じゃないぞ…  泥にまみれて明日が見えなくなってもまけないタオルが拭ってくれる  ほら 笑顔と一緒に明日がくるのさ…」 とてもいい 歌です。
 
⑤つなぎの市から 物資の支援をいただいている山水治夫さん(「瀬織津姫伝説」の著者)が 全国のトークショーで 「がんばりっこ」を紹介して販売してくれています。有難いです!

ブログand本是非ご覧ください!


⑥7月7日()13時~15時 気仙沼 赤岩親交会館(中村家の近くです)で ボランティアサークル「スノードロップ」によるヨガ andバッチフラワーレメディ の茶話会があります。長めのバスタオル二枚 準備ください。心も体も緩めましょう!(予約制です。連絡下さい)

  みなさまも お体大切に!私も残り半分 頑張ります!  お元気で!

*がんばりっこは気仙沼の茅ヶ崎の支援グループの方が考えて下さり、手を動かしながらお喋りをすることで、元気を取り戻して頂きたいと作り始められた羊毛人形です。売上金は被災地の方の為に使われています。

足が痛い!

靴はお洒落だけではなく、歩きやすくないと困りますよね。

震災以降、歩いて帰宅出来るが頭から離れません。でも、いつもスニーカーというわけにも。。。

先日、ベトナムで買った鼻緒型のサンダルを履いて出かけました。

50mも歩かないうちに鼻緒が痛くて、家に戻り鼻緒に靴用のクッションをテープで巻いて
再スタート

しかし、それでも痛くて、途中で鼻緒用のクッションを買ってあて、それでも痛くて指に絆創膏を買って巻き、かばって歩くせいか身体中が痛くなりと、なんとも悲惨な一日を過してしまいました。

お気に入りのサンダルなのに、これでは使えませんね。悲しい。。。

そんな時、偶然にも中学時代の友人に久しぶりに会いました。

な、なんと、彼女の息子さんがオーダー靴のお店をやっていると伺いました。
靴だけではなく、中敷きで靴の調整もしているみたい

今度、お気に入りでも履けない靴を持って伺いたいと思っています。

二天一流総本舗とちょっと変わった名前のお店です
http://2ten1ryu.com/top.html

おひさまの近況

気仙沼のキッズルームおひさまもいよいよ来週14日に新園舎完成、落成式の予定となりました。

子供たちが明るいお部屋や、庭で元気に遊べるようになるのも、もう少し

わくわくします。代表の里見さんもここまでも手続きやお金の心配や、ご苦労沢山あったことと思います。これからもまだまだ頑張らなければならないことだらけだと思いますが、
倒れないようにご自身のお身体も大切にして欲しいですね。

まだまだ、皆さんのお力を必要としています。ご協力宜しくお願いします。

いつものように気仙沼の高橋さんからのご報告をお伝えいたします。

新園舎、田んぼの中にあります。周りには民家があります。ご近所の方も子供たちの声が聞こえるのを楽しみにして下さっているそうです。

 里見さんが考えた森の絵が描かれています

地元紙三陸新報にも掲載されました。

震災でお亡くなりになったばあちゃん先生、故小松セイ子さんは「困っている人を助ける」を信条に
規制に縛られない自由な保育をしたいと認可外にこだわっていた方だったそうです。
熱を出した園児を自ら自宅に送り届けるなど、細やかな配慮のある保育をなさっていた方。

その意思を継ぎ震災後開設当時は11人だった園児も、今では35人に

4月からは日曜保育が無いということで、日曜保育も始めました。
他の保育園に通う子も、時間外は預かっているそうです。
「子供の為、復興を担う父母のために」
何を必要とされているかを模索しながらも、日々前進し続けています。

1967年羽越水害の時に普及工事を行い、社業発展した山形の建設業者が「被災地への恩返しに」
と子供たちの保育環境を少しでも改善してほしかったという思いで、今回、新園舎建設をして下さいました。里見代表は「助けたいという思いが、助けられるにつながり、亡き理事長の教えが形になり
現れてくれた」と喜びを語っています。