今日の題名は、さだまさしの歌の1つです。
ご存知の方も多いと思いますが、私は知りませんでした。
さだまさしの曲には名曲が沢山ありますが、私は彼のお喋りが好きで、NHKで毎月1回深夜に放送する「今夜も生でさだまさし」をよく見ます。夜中なのに彼のお喋りが面白くて、声を出して笑ったり、、、最近声を出して笑うってあまりないので、心の洗濯になります。
1月の放送の時、途中から見たので、彼がそこに来ていた先生を紹介しているのを見落として、時々先生と呼ぶその方は、彼が時折話す落研の先生なのかしらと思って見ていました。
その日最後にこの曲を歌いました。
アルジェリアの事件が報道されている時でしたので、余計にこの歌詞は心に響きました。
この曲は彼が20歳の頃、アフリカに医療活動に行った青年医師から聞いた話が、ずっと心に残りいつか曲にしたいと思っていた、その想いのものだそうです。そこにいらしたのはこの先生だったのです。
詳しい事や歌詞は下記に詳しく書かれたブログを見つけましたので、ご覧ください。
http://yuuyuukandai.at.webry.info/200709/article_16.html
一昨年の夏に気仙沼に行った時に、被災された方々のためにと開催された、ナターシャ・グジーさんというウクライナ出身の歌手の方のライブを拝聴しました。
彼女は父親がチェルノブイリで働いていて、3、5キロの所で被爆した経験があります。
今は日本人と結婚して、日本で歌手をしています。
http://www.office-zirka.com/
去年もブログに書いたように思いますが、そのライブで彼女が歌った、さだまさしの「防人の詩」
が、心に深くしみこみました。
そこに居た沢山の方が涙しながら聴いていました。私は被災した方がたの心にはなれませんが、
自分の周りの逝ってしまった大切な人のことを、走馬灯のように思い浮かべながら聴きました。
まだライブなど出来る場所もなく、ホテルの大きな部屋でカラオケでのライブでしたが、どんな立派な会場よりも心が伝わるひとときでした。
その後エグザイルのあつしがこの曲を歌ったのを聞きました。こちらも感動しました。
自分ではとても歌いこなせない歌ですが、カラオケ上手な方に唄って頂いたりします。
心にささる唄、あなたはどんな曲ですか?
2013年2月2日土曜日
2013年1月30日水曜日
つなぎの会 報告とお願い
つなぎの会、気仙沼会員の中村さんから、活動報告が届きましたので、ご紹介させて頂きます
参加人数は全部で9人。
寒かったので こたつを囲んでぎゅうぎゅうでしたが、お茶を飲み、お菓子を食べながら、ババ抜きをしたり、ほっこり あったかい新年会になったと思います。
女の子向け 男の子向け なんでも 大丈夫です。よろしくお願いしますm(__)m
皆様 いかがお過ごしでしょうか?
今年の冬は寒さが厳しくて 家の後ろの道路はずっと凍ったままです。先日は足を滑らせて転んでしまいました。どうぞ 皆様も気をつけて下さいね。
それでは 最近のつなぎの会&フリースペースつなぎの様子 お知らせします
1月19日に柳さん(塾の先生をしていらっしゃいます) が塾のスペースを使って物資の配布を行いました。
つなぎの会からは 私どもに送って下さっていた段ボール箱四箱ほどの物資を提供しました。(窓ガラスに「応援つなぎの会」と書いた紙を貼って下さいました) 柳さん自身
被災者であり 被災された方々の気持ちがよくわかってされていることだと感じました。
仮設住宅にちらしをまいて必要な方に取りに来てもらっているのだそうです。
この催しはまた行うそうです。
もし 提供してもよい物資(米 味噌 醤油や缶詰めじゃがいもなど保存がきく食品
ティッシュ 洗剤など家庭用品)がありましたら 送って下さると有難いです。
柳さんの話によると やはり震災で職を無くされた方々が大変だということです。蓄えがあって職のある方は家を建てて 仮設住宅を出ていっているそうですが
一人暮らしのお年寄り 家が流されたのにローンは払わなければならない方々 等々 先が見えない中で暮らしている被災者の方は多くいるそうです。
できる範囲でかまいません。どうぞよろしくお願いします。
さて
もう1つ 「フリースペースつなぎ」の新年会が26日にありました。
今回は娘も含め中学生が二人参加。罰ゲームつきのカルタをして盛り上がりました。
大人の話題はいろいろで不登校、引きこもり、進路の不安など様々でしたが
安心して話せる場があることが大事なことだなと思いました。
東京では 二十歳以上の引きこもりの方々(引きこもりを経験したり職場にいきづらさを抱えていたりする)が集まる場があるそうで そうした場がまずあることで 救われている人も多くいると感じました
また個人的な感想ですが不登校の子どもたち
若者と話をする機会が多いのですが、 社会的に見ると甘えやわがままで 学校に行かないと思われがちですが 真面目で 礼儀正しく 物事を深く考えている子たちが多い気がします。
社会的に見て
生かされないのは すごくもったいないことのように思います。
どの子も若者も(きっと大人も)社会の宝で 生かされる地域 社会になればいいなと願っています。
さて
フリースペースつなぎのオープンを2月17日に控え 準備のまっさい中です。
子どもたちの居場所としてゲームや本など揃えたいと考えてしますが 、もしご家庭に要らないマンガ(コミック)がありましたら送っていただきたいのですが よろしくお願いします。
いつものことながら お願いばかりで申し訳ありませんが どうぞよろしくお願いします。
それでは お体を大切に… また ご報告させていただきますね。ありがとうございました。
ご協力頂ける方がいらっしゃいましたら、下記にお問い合わせお願い致します。
フリースペースつなぎ tel
090-3646-4397 担当 森
気仙沼で昨年のクリスマスの頃、行方不明になった少年がいました。彼は両親を津波で亡くし、祖母と妹と3人で仮設住宅で暮らしていたそうです。
懸命に捜索したそうですが、先日、彼の葬儀があったと知りました。
高校生でした。
先日のアフリカの事件で亡くなられた方の中に、一関高専出身の南三陸町の方がいらっしゃいました。お母さんは仮設住宅にお住まいです。
直接存じ上げている方ではないですが、大変なおもいを体験して助かった命が、こういうことで失われるのは、とても悲しいことです。
遅々として進まない復興への道 厳しい寒さの日々で心が折れることも多いでしょう。
ぬくぬくとした中にいる私が言うのもおこがましいですが、「辛い時、誰かにその想いを話してください。そこから、何かを見つけられるかもしれません。」
失った命は二度と戻りません。自ら命を絶つ方は、本当にそうしたい訳ではないと思います。
失った命は二度と戻りません。自ら命を絶つ方は、本当にそうしたい訳ではないと思います。
あしなが育英会では、心のサポートも行っているそうです。
大根コンプロジェクトでもサポートしています。
http://daikonkon-project.com/
http://daikonkon-project.com/
2013年1月27日日曜日
歩くことは大切です
友人が92歳のお母さんとタイに行きました。ここ数年、国内外年に数回旅に出ています。
今回は2週間ほど前にお母さんが転んで、大腿部を捻挫し、なんとか歩けてはいるという状態とか。お医者さまにもこのお年で骨折にならなかったのは凄いと言われたそうです。
空港内は車椅子を手配したそうですが、あとは自力で歩くと。同じホテルに連泊なのでなんとかなるだろうって出かけました。
無事に帰国して、楽しい旅報告を待っていますが。。。
私の父も83才を過ぎてから、リビングで椅子から立ち上がった時によろけて転び、骨折しました。
本当によろよろって転んだのでまさか骨折したとは思いませんでした。
土曜日の午後だったので、行きつけの内科に行き、レントゲンを撮ったのですが、骨折していないとのことだったので、自宅で安静にしていましたが、翌日になってもベッドでも自力では足を動かせず、持ち上げてあげても凄く痛がりました。
月曜になって整形外科に行きましたら、大腿骨骨折と言われて、いつもオーバーに騒ぐ父だったので、全く大げさなんだからと思っていた私も焦りました。
手術をしました。術後リハビリをして、なんとかキャスター付の肘支持型歩行車を使って歩けるようになったのですが、退院する時にもう雪が降る季節になっていました。
近くに通院でリハビリが出来る病院もなくて、春になるまでに歩けなくなってしまいました。
歳をとるとちょっとしたことで、機能がどんどん落ちてしまいます。
父は肺気腫という持病があり、24時間酸素を使用していましたので、家では10mくらいの長さのチューブを使っていましたし、外出時は酸素ボンベを持ち歩くので、普段でも歩行は大変でした。肺の機能低下もありましたので、やみくもに動かすのも危険でした。
歩けなくなると、みるみる筋力も落ちて掴まり立ちすることも、大変になりました。脚だけでなく体を動かさないということは、全身の筋力が落ちていきました。
親がだんだん小さく見えるようになり、子としては辛かったです。
父も「寝たきり老人になりたい」なんて冗談を言っていましたが、辛かったと思います。
その内在宅でリハビリが出来るようになったと、ケアマネージャーに伺ってお願いしました。
とっても楽しい理学療養士の方が来てくださるようになり、話相手が欲しかった父はリハビリよりもお喋りがしたくて、楽しみにしていました。
この時リハビリとは機能だけでなく、心のリハビリもあってだな~と感じました。無理やりやらされるだけでは、なかなか続きません。
歩けるとこんな楽しいことも出来ますよって、目標をイメトレされると仕方ないやるかになってくれました。
もう少し早くこのリハビリがあったら良かったのに、残念ながら父は歩けるようには戻れませんでした。
そんな父と生活したので、自分でも足は大事だと思っています。なるべく歩くように心がけています。東京で生活していると意識せずに5000歩~1万歩はすぐに歩きますし、階段を利用することも多いので、楽せず自分の為と考えています。
最近は家の中で転んで亡くなる方が、交通事故死者数より多いそうです。
家が一番安全な場所と思いがちですが、油断は出来ませんね。
気をつけましょう!
今回は2週間ほど前にお母さんが転んで、大腿部を捻挫し、なんとか歩けてはいるという状態とか。お医者さまにもこのお年で骨折にならなかったのは凄いと言われたそうです。
空港内は車椅子を手配したそうですが、あとは自力で歩くと。同じホテルに連泊なのでなんとかなるだろうって出かけました。
無事に帰国して、楽しい旅報告を待っていますが。。。
私の父も83才を過ぎてから、リビングで椅子から立ち上がった時によろけて転び、骨折しました。
本当によろよろって転んだのでまさか骨折したとは思いませんでした。
土曜日の午後だったので、行きつけの内科に行き、レントゲンを撮ったのですが、骨折していないとのことだったので、自宅で安静にしていましたが、翌日になってもベッドでも自力では足を動かせず、持ち上げてあげても凄く痛がりました。
月曜になって整形外科に行きましたら、大腿骨骨折と言われて、いつもオーバーに騒ぐ父だったので、全く大げさなんだからと思っていた私も焦りました。
手術をしました。術後リハビリをして、なんとかキャスター付の肘支持型歩行車を使って歩けるようになったのですが、退院する時にもう雪が降る季節になっていました。
近くに通院でリハビリが出来る病院もなくて、春になるまでに歩けなくなってしまいました。
歳をとるとちょっとしたことで、機能がどんどん落ちてしまいます。
父は肺気腫という持病があり、24時間酸素を使用していましたので、家では10mくらいの長さのチューブを使っていましたし、外出時は酸素ボンベを持ち歩くので、普段でも歩行は大変でした。肺の機能低下もありましたので、やみくもに動かすのも危険でした。
歩けなくなると、みるみる筋力も落ちて掴まり立ちすることも、大変になりました。脚だけでなく体を動かさないということは、全身の筋力が落ちていきました。
親がだんだん小さく見えるようになり、子としては辛かったです。
父も「寝たきり老人になりたい」なんて冗談を言っていましたが、辛かったと思います。
その内在宅でリハビリが出来るようになったと、ケアマネージャーに伺ってお願いしました。
とっても楽しい理学療養士の方が来てくださるようになり、話相手が欲しかった父はリハビリよりもお喋りがしたくて、楽しみにしていました。
この時リハビリとは機能だけでなく、心のリハビリもあってだな~と感じました。無理やりやらされるだけでは、なかなか続きません。
歩けるとこんな楽しいことも出来ますよって、目標をイメトレされると仕方ないやるかになってくれました。
もう少し早くこのリハビリがあったら良かったのに、残念ながら父は歩けるようには戻れませんでした。
そんな父と生活したので、自分でも足は大事だと思っています。なるべく歩くように心がけています。東京で生活していると意識せずに5000歩~1万歩はすぐに歩きますし、階段を利用することも多いので、楽せず自分の為と考えています。
最近は家の中で転んで亡くなる方が、交通事故死者数より多いそうです。
家が一番安全な場所と思いがちですが、油断は出来ませんね。
気をつけましょう!
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