「おひさま」のことを沢山の方に知って頂きたいと思い、googleやyahooの検索に引っかかるには
どうしたらいいのか、考えてみました。
今までのブログのタイトルはgoogleブログサイトの初期のタイトル名ですが、「今日もありがとう」っていい言葉だなと思ってそのまま利用しましたが、これだと大勢の方が使っているタイトルなので、
ちょっと変えてみました。
これでも駄目ですね~。
Qi a laって教室名も少ないと思っていましたが、な、なんとこれも沢山サイトが出てきます。
ネット上のタイトルって難しいです。出来ないとなると、とことん追求したくなる私。
ウウウ 夜も眠れなくなっちゃいそう
話はコロッと変わりますが、昨日用事があり銀座に行きました。昨日はユニクロ銀座店がリニューアルそしてIPADが新発売と重なって、平日なのに賑わっていましたね。
ユニクロは場所が代り、松坂屋デパートの向かい側に移転していました。歩道にはユニクロ目的の長い列が。。。ユニクロは大好きですが並ぶのは嫌いなので、チャレンジャーになるのはやめました。
19日までは銀座店だけの目玉価格があるようですが、東京は今日は寒い雨。
気合入れて並んでいる人いるのかな~
新しいお店が出来る一方で老舗の呉服屋さんが閉店していました。
時がながれ、必要な物も変わっていくのですね。ちょっと寂しく思いました。
2012年3月17日土曜日
2012年3月15日木曜日
気仙沼 保育園 「おひさま」
昨年11月に気仙沼の高橋さんから、「おひさま」という保育園のことで、緊急の連絡が入りました。
津波で園舎はなくなり、保母さんが園児と避難出来たのですが、園長先生がお亡くなりになりました。
今は園長の意思を継ぎ、仮設の倉庫で運営していますが、床はコンクリートの打ちっぱなし、底冷えがするので、何か方法がないかしらということでした。
その頃は仮設住宅も寒さと結露で対策が必要と連絡があったばかり。。。
早急に集められる物で何か断熱対策になるものがないか、建築の仕事をしている同級生に相談して、断熱材がネットで買えるルートを調べて頂き、それらは彼女達のネットワークが協力要請の輪を広げて下さり、送ってくれました。
梱包材の「プチプチ」も窓に貼ると効果があることが判り、こちらは絵付けをやっている私達は常備している物なので、「日本ポーセレンペインターズ協会」に協力をお願いしました。
協力をお願いした皆さんがそれぞれに色々アイデアを出して下さって、半月足らずで、沢山の断熱材、プチプチ、絨毯、そして灯油を買う資金まで提供して頂きました。
「おひさま」や仮設住宅に住む方に思った以上のスピードでお届け出来て、本当に嬉しかったです。
この時も私達「つなぎの会」5人では不可能なことが、ひとり一人手をつなげていくことで、可能に出来ることを実感し、皆さんの善意が折れそうになる被災者の方に笑顔もお届けできることを感じました。
気仙沼は水産業が中心の街です。まだ職場が少なく小さなお子さんがいる女性も仕事を探し
働かなければなりません。其の為にも長時間お子さんを預かってくれる場所が必要です。
震災前は親御さんにみてもらえた方も、大事なご家族が犠牲になられたり、離れた仮設住宅になってしまったりしているので、復興する為にも保育園は大事な役割を担っています。
昨日、高橋さんから気仙沼の現状とご協力をお願いしたいメールが届きましたので、ご紹介いたします。
津波で園舎はなくなり、保母さんが園児と避難出来たのですが、園長先生がお亡くなりになりました。
今は園長の意思を継ぎ、仮設の倉庫で運営していますが、床はコンクリートの打ちっぱなし、底冷えがするので、何か方法がないかしらということでした。
その頃は仮設住宅も寒さと結露で対策が必要と連絡があったばかり。。。
早急に集められる物で何か断熱対策になるものがないか、建築の仕事をしている同級生に相談して、断熱材がネットで買えるルートを調べて頂き、それらは彼女達のネットワークが協力要請の輪を広げて下さり、送ってくれました。
梱包材の「プチプチ」も窓に貼ると効果があることが判り、こちらは絵付けをやっている私達は常備している物なので、「日本ポーセレンペインターズ協会」に協力をお願いしました。
協力をお願いした皆さんがそれぞれに色々アイデアを出して下さって、半月足らずで、沢山の断熱材、プチプチ、絨毯、そして灯油を買う資金まで提供して頂きました。
「おひさま」や仮設住宅に住む方に思った以上のスピードでお届け出来て、本当に嬉しかったです。
この時も私達「つなぎの会」5人では不可能なことが、ひとり一人手をつなげていくことで、可能に出来ることを実感し、皆さんの善意が折れそうになる被災者の方に笑顔もお届けできることを感じました。
気仙沼は水産業が中心の街です。まだ職場が少なく小さなお子さんがいる女性も仕事を探し
働かなければなりません。其の為にも長時間お子さんを預かってくれる場所が必要です。
震災前は親御さんにみてもらえた方も、大事なご家族が犠牲になられたり、離れた仮設住宅になってしまったりしているので、復興する為にも保育園は大事な役割を担っています。
昨日、高橋さんから気仙沼の現状とご協力をお願いしたいメールが届きましたので、ご紹介いたします。
今も仮設の倉庫をリフォームした部屋で36名ぐらい子供たち(登録は60名)を預かって4名の先生たちで面倒を見ています。
トイレも介護用ポータブル、園庭もない状況ですが、全国からの暖かい支援で環境はずいぶん改善されおもちゃや絵本もいっぱいで元気に楽しく過ごしています。
最近までパートの方が1名手伝ってくれていましたが体を壊し今はいません。
1人1ヶ月17000円保育料を頂いていますが市からの補助金はなく先生たちの給料、家賃、お昼のおかず(ご飯と飲み物は持参)、おやつ、光熱費などでギリギリです。
先生たちの給料はやっと先月初めて支給したそうです。
代表の里見栄美さんは給料なしです。
今まで支援を頂いた件数は50件ぐらいですが大きい団体からはなく個人からがほとんどです。
このような現状ですが山形の建設会社からの支援で念願の園舎を建てていただくことになり、今の場所の近くの農地だった所を借りてそこに建てる事になりました。
子供たちがのびのびと過ごせる園舎が出来るのは子供たちも親御さんにとってもとても嬉しいことだと思います。しかし資金面での問題もたくさんあります。
まず、園舎を建てて頂いた場合その40%の贈与税がかかるということ。
備品や遊具など必要なものが出てくるということ。
園児の数も増やしたいので先生の数も増やしたいということ。
固定資産税等まだまだ進むにつれて必要な運営費が出てくることが考えられます。
亡くなった前身「南気仙沼幼児園」の理事長さんの意志を継ぎ姪で代表の里見栄美は支援金のお願いに奮闘しています。
4月からは日曜保育もやります。働く親御さんたちの力になり、1日も早く復興が進むことで子供たちの明るい未来に繋がればとの思いです。
何卒御支援宜しくお願い致します。
できるだけ「おひさま」の力になりたいと思っている高橋玲子より
このような状況にある所は沢山あると思いますが、よろしければ一緒にサポーターになって頂けませんか?
今、ボランティアの方に「おひさま」のホームページを製作して頂いているそうです。
完成したら、ご案内させて頂きます。
2012年3月13日火曜日
旅立ちの季節が
3月は卒業や移動や定年や人生の節目を迎える季節
親しい友人と別れる寂しさと新たな生活への期待と不安。
そして寒い季節から日差しも少しずつ明るくなり、花々が春の訪れを知らせてくれる。
ちょっとウキウキ、ドキドキするそんな季節。
それが去年の3月11日のあの日から、悲しいこと、辛かったこと、大変だったことを思い起す季節になってしまいましたね。
正直、あまりに辛すぎて言葉にすることにも迷いがあります。
あの日、一関や仙台に住む家族のこと、友人のこと、沿岸に住む知人のこと
つながらない電話。テレビに映る見慣れた街の崩れていく様子。
何もかも不安だらけでした。
3日後にやっと通じた電話で弟があの日、石巻の海の前の病院に仕事で行ったまま行方不明
と分かった時の気持ち
翌日の夜に孤立したその場所に生存していることが確認できた時の気持ち
震災から5日後に瓦礫の中を仙台まで歩いて帰宅したと連絡があった時の気持ち
パニックになっていた私はメールをくれた友人に不安な自分をぶつけることしかできませんでしたが
、みんなが送ってくれるメールだけがあの時の私には心の支えでした。
助かったのが不思議なような場所から弟は助かったけれど、あの時の誰でもいいから助けてと思った自分が、大切な方を亡くされたご遺族のお気持ちと重なり、命ある限り忘れることが出来ないあの日に心が痛みます。
気仙沼の友人からメールをご紹介します。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
あの日から 一年たちました。今日は 津波が来た時間 私は海に行って 亡くなった多くの方々の追悼と 今 生かされている感謝の気持ちを込めて 祈らせていただきました。
岬の先の神社が そこだけまるで海がよけていったように 残されていました。
後は見渡す限り 元の姿が分からないほど 何も残されてはいませんでした。
神社に逃げた人は10人 フェンスなどにつかまりながら 助かったそうです。助かった人は流れていく 家々をみながら どんな思いだったのでしょう。そして 避難場所に逃げながらも 予想を大きく上回った津波に流されてしまった人々は 何を思って亡くなったのでしょう
今 生き残った我々 生かされた私たちは 何をすべきなのでしょう。
あの日の夜は 本当にたくさんの星がまたたいて きれいな星空でした。たくさんの命が天に上って 星になったのだと思ったら 涙が流れました。
生きている限り 一年前のあの日のことを 決して忘れません 一年たった 今 改めて思います。
昨日の土曜学校(10日)はクリスタルボール奏者の安達季久子さん 龍笛奏者の山下進さんをお迎えしての演奏会でした。
なぜ龍笛という名前がついているのか聞いたところ 2オクターブの音階の音がでるそうで 高低差のある音は天と地を昇り降りする龍に似ているからだそうです。クリスタルボールも天に近い音で 2つの楽器が響きあって なんともいえない 心地よさがありました。クリスタルボールの独奏では みんな横になって聞いたのですが いつのまにか ぐっすり 起きたときは 自分の家なのに ここがどこか わからないほど熟睡してました。
お二人とも ここ気仙沼に鎮魂の願いを込めて来て下さり クリスタルボールと龍笛の音は きっと 広がっていって 海へと届いたと思います。本当にありがとうございました。
(安達さんは ブログに気仙沼に来たことやがんばりっこのことものせてくれました。ぜひ ご覧ください。)
「ブログ 天界の響きクリスタルボール」http://blogs.yahoo.co.jp/kikokiko0311
また 桜の花が咲く頃気仙沼に来てくれるそうです。桜を見ながら 野点をしましょう。
さて これからのつなぎの学校の予定 がんばりっこ販売予定です。
3月17日(土) 13時半~ 羊毛手仕事
3月20日(火) 宮城県登米市のイベントで がんばりっこと ハガキ販売
4月 22日(日)茅ヶ崎 春まつり 同じく販売予定 (かなりの大きなイベントらしく がんばりっこ三百個目標!製作頑張ろう!)
なにがあっても 生きて笑えることが大事! 生きていることを楽しみましょう 。 みんなで笑いあえる そんな 社会、 学校をつくりましょう!
気仙沼に住む中村さんは養護学級の教師をしています。ご自宅を心のケアのボランティアで訪れて下さる方々に提供して、同じ気仙沼に住む高橋さんと共に少しでも心の痛みが癒され、また活気ある気仙沼になって欲しいと頑張っています。
今年は寒さで桜が咲くのも遅くなりそうですが、例年ならゴールデンウィークの頃気仙沼も桜が咲きます。復興にがんばっている地を訪れて、そこに泊まり、その地で食事をしたり、買い物をしたり、そんな協力の仕方もあるのではないかなと思っています。
親しい友人と別れる寂しさと新たな生活への期待と不安。
そして寒い季節から日差しも少しずつ明るくなり、花々が春の訪れを知らせてくれる。
ちょっとウキウキ、ドキドキするそんな季節。
それが去年の3月11日のあの日から、悲しいこと、辛かったこと、大変だったことを思い起す季節になってしまいましたね。
正直、あまりに辛すぎて言葉にすることにも迷いがあります。
あの日、一関や仙台に住む家族のこと、友人のこと、沿岸に住む知人のこと
つながらない電話。テレビに映る見慣れた街の崩れていく様子。
何もかも不安だらけでした。
3日後にやっと通じた電話で弟があの日、石巻の海の前の病院に仕事で行ったまま行方不明
と分かった時の気持ち
翌日の夜に孤立したその場所に生存していることが確認できた時の気持ち
震災から5日後に瓦礫の中を仙台まで歩いて帰宅したと連絡があった時の気持ち
パニックになっていた私はメールをくれた友人に不安な自分をぶつけることしかできませんでしたが
、みんなが送ってくれるメールだけがあの時の私には心の支えでした。
助かったのが不思議なような場所から弟は助かったけれど、あの時の誰でもいいから助けてと思った自分が、大切な方を亡くされたご遺族のお気持ちと重なり、命ある限り忘れることが出来ないあの日に心が痛みます。
気仙沼の友人からメールをご紹介します。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
あの日から 一年たちました。今日は 津波が来た時間 私は海に行って 亡くなった多くの方々の追悼と 今 生かされている感謝の気持ちを込めて 祈らせていただきました。
岬の先の神社が そこだけまるで海がよけていったように 残されていました。
後は見渡す限り 元の姿が分からないほど 何も残されてはいませんでした。
神社に逃げた人は10人 フェンスなどにつかまりながら 助かったそうです。助かった人は流れていく 家々をみながら どんな思いだったのでしょう。そして 避難場所に逃げながらも 予想を大きく上回った津波に流されてしまった人々は 何を思って亡くなったのでしょう
今 生き残った我々 生かされた私たちは 何をすべきなのでしょう。
あの日の夜は 本当にたくさんの星がまたたいて きれいな星空でした。たくさんの命が天に上って 星になったのだと思ったら 涙が流れました。
生きている限り 一年前のあの日のことを 決して忘れません 一年たった 今 改めて思います。
昨日の土曜学校(10日)はクリスタルボール奏者の安達季久子さん 龍笛奏者の山下進さんをお迎えしての演奏会でした。
なぜ龍笛という名前がついているのか聞いたところ 2オクターブの音階の音がでるそうで 高低差のある音は天と地を昇り降りする龍に似ているからだそうです。クリスタルボールも天に近い音で 2つの楽器が響きあって なんともいえない 心地よさがありました。クリスタルボールの独奏では みんな横になって聞いたのですが いつのまにか ぐっすり 起きたときは 自分の家なのに ここがどこか わからないほど熟睡してました。
お二人とも ここ気仙沼に鎮魂の願いを込めて来て下さり クリスタルボールと龍笛の音は きっと 広がっていって 海へと届いたと思います。本当にありがとうございました。
(安達さんは ブログに気仙沼に来たことやがんばりっこのことものせてくれました。ぜひ ご覧ください。)
「ブログ 天界の響きクリスタルボール」http://blogs.yahoo.co.jp/kikokiko0311
また 桜の花が咲く頃気仙沼に来てくれるそうです。桜を見ながら 野点をしましょう。
さて これからのつなぎの学校の予定 がんばりっこ販売予定です。
3月17日(土) 13時半~ 羊毛手仕事
3月20日(火) 宮城県登米市のイベントで がんばりっこと ハガキ販売
4月 22日(日)茅ヶ崎 春まつり 同じく販売予定 (かなりの大きなイベントらしく がんばりっこ三百個目標!製作頑張ろう!)
なにがあっても 生きて笑えることが大事! 生きていることを楽しみましょう 。 みんなで笑いあえる そんな 社会、 学校をつくりましょう!
気仙沼に住む中村さんは養護学級の教師をしています。ご自宅を心のケアのボランティアで訪れて下さる方々に提供して、同じ気仙沼に住む高橋さんと共に少しでも心の痛みが癒され、また活気ある気仙沼になって欲しいと頑張っています。
今年は寒さで桜が咲くのも遅くなりそうですが、例年ならゴールデンウィークの頃気仙沼も桜が咲きます。復興にがんばっている地を訪れて、そこに泊まり、その地で食事をしたり、買い物をしたり、そんな協力の仕方もあるのではないかなと思っています。
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