友人と気仙沼に行きました。
今回は以前からお話ししている「おひさま」を訪問しました。代表の里見さんは諸手続きに奔走中で
お会いできませんでしたが、元気いっぱいの子供たちの笑顔に会えて嬉しかったです。
現在の園舎は郊外の飲食店の駐車場の一角にある、プレハブの倉庫の一部を利用しています。
初めての訪問でしたが、想像以上に大変な環境でした。
左手には収容出来ない物の倉庫代り?外は駐車場ですから、子供たちは外では遊べません。
ぎりぎりの運営のせいでしょうか、室内も照明も節約状態でした。
このプレハブでは暑くても寒くても厳しいですね。
今、この裏手の休耕田を借りて、新園舎を建設中です。
7月中には完成予定だそうです。待ち遠しいですね。
まだまだ経営維持には厳しい財政だそうです。園児20人でやっと保母さん一人の給料が出せるとか、現在園児38人だそうです。子供たちの笑顔の為にも頑張って頂きたいと思います。
こういう処に国の援助が欲しいですね。
次に復幸マルシェに行きました。
入口の看板にLIGHT UP NIPPONのポスターが貼ってありました。昨年シェッフの松島啓介さんも参加した被災地に花火をあげたプロジェクトチームです。
春に会った時、今年も花火やるよ~って言っていたけど、どうなったのかしら?
敷地の左右にプレハブの商店街があります。八百屋さん・牛乳屋さん・飲食店・乾物屋さん等‥
が集まっています。中央部分が駐車場になっています。私も地元のふかひれスープなどお買いものしました。
道を挟んだ向かい側には子供たちの遊べる広場が出来ていましたが、右手には津波で被災した建物がそのまま残っています。
気仙沼の街中にはこのようなプレハブ長屋スタイルの商店が数か所出来たようです。
平日のせいかお客様がほとんどなくちょっと心配です。地元の方だけでなく、沢山の方が訪れて買い物してほしいですね。
小野寺商店さんで、廃油をリサイクルするお仕事を始めた女性に会いました。
彼女は震災の時に大船渡の実家が心配で行きたかったのだけど、ガソリンがなくなかなか行けなかったそうです。その後気仙沼にがれきの処理で沢山の重機が入り、空気がよどんで来たように思ったそうです。
そこで、廃油を集めて重機の燃料にする仕事を始めたそうです。産廃ではないので、廃油は買い取るそうです。一関にも回収に行っているとか。現在は1軒だけなので、回収に行く費用を買い取り価格に替えてもらっているそうです。
油を沢山使う業種の方は無料で回収に来てくれるのは、メッリトあるのでは。。。
マシンパーツ精密工業 担当 柏木さん TEL 0226-24-3980
宮城県北、岩手県南にお知り合いがいらっしゃる方、ご協力お願いします。
県道から自宅に降りる道は舗装してない道で、津波で何か所もえぐられていて、タイヤがすっぽり入りそうで、ひやひやの運転でした。
建設中だった建物がかろうじて防波堤にひっかかり残りましたが、地盤は4メートルも沈下し、周辺の民家もみんななくなり、住むことは出来なくなりました。
自ら建設に携わっていた建物なので、重機で壊すのは忍びないと、仮設住宅から通って建物を解体していました。
水道もガスも電気もなくなりましたから、明るいうちだけの作業です。
津波前は砂浜があり、畑を作り、海の幸・山の幸に恵まれた良い所だったそうです。ここで津波にあったのに、海の前の作業は怖くないのかしらと思いました。
脇や奥にある杉林は津波の海水で枯れて来ています。震災の時はこの木に漂流物がいっぱいひっかかりぶら下がっていたそうです。ボランティアの方々が、全部取り除いてくれたとか。
途中の道のカーブミラーや道路標識にはまだ、衣類などがひっかかったままになっていました。
建設中のこの家で使うはずだった新品の家具も一度も使うことなく流されたそうです。
震災直後はなにもかも失ってどう生きていいか判らないと言っていましたが、今はやっと前を向く気持ちになられたようでした。
ここはもう人気もなくなり住むのは怖いので転居するそうですが。私と同じ年。人生をやり直すのは大変です。でも、久しぶりに笑顔が見れて嬉しかったです。
一人ひとりが色んな事情を抱えながら、頑張っているのですね。
私達に出来ることは、そんな人たちが懸命に生きていることを忘れないことではないかと
思いました。