2012年2月24日金曜日

追伸

今日はアドレスからのリンクがうまくいっているようです。

レストラン アイのホームページ
http://www.restaurant-i.jp/
のfacebookに師匠酒井シェフとのコラボ、2月18日に掲載されていました。ご興味のある方はご覧下さい。今回はご紹介するのが遅れてしまい、24日で松嶋さんのお料理企画は終わってしまいました。

原宿には珍しい緑の多い落ち着いた雰囲気のレストランです。

松嶋啓介さん

皆さんはこの方ご存じでしょうか?
ニースでフランス料理のお店を持つシェフです。詳しくは彼のホームページをご覧下さいね。
http://www.keisukematsushimajapanice.com/concept/profile.html

昨年友人の誘いで彼のお料理を食べました。その日も朝ニースから着いたばかりということでした。
年に数回日本にも帰国し腕を振るわれています。
なんの知識もなく頂きましたが、今まで体験したことがないオリジナリティーあふれる、驚きの料理で何を頂いても美味しかったです。

先日彼の師匠とのコラボ料理会が、原宿の彼のお店「レストラン アイ」でありました。
1週間前に急に決まったということで、メール配信での告知。迷わず参加表明致しました。

2度頂いて思ったことは驚きのmenuがあるということです。今回はメインをお魚だけにしましたが、
前菜のフォアグラとトリフのコロッケ仕立てがどうやったらこういう料理になるのかしら?と思う
不思議料理でした。

彼のコース組は、最初に飲み物に合わせたおつまみ
次にコースにはない1品、それから前菜2品、そしてメイン料理、デザートそして最後に軽いおつまみ
と内容もぎっしりです。オリーブオイルとバジル入りパンがまたとっても美味しくて、つい食べ過ぎてしまうのでメインに入る前に結構満足状態になってしまいます。
コストパフォーマンスもばっちり大満足出来ます。

彼のことを教えてくれた友人には感謝です!

彼はまだ若く人柄も素敵です。好青年だということも彼のファンになった理由の一つです。
いつもお料理の後には各テーブルを周り挨拶をなさいます。

去年は8月に東日本大震災の被災地に花火をあげる「頑張ろう NIPPON」のメンバーとして
張り切っていました。今年もあげるよと先日もおっしゃっていました。
気仙沼でも花火が打ち上げられました。見に行きたかったのですが、混乱を招くということで現地の
方優先でしたので諦めました。後にテレビで見ましたが開催まで大変だったようですが追悼の思いを込めた感動的な花火大会になったようで、彼らの思いが現地の方の思いと一緒になれて良かったな~と思いました。

レストラン アイのホームページに彼のお料理を食べる機会も掲載されますので、興味のある方は
ぜひ一度トライしてみて下さいね。

他のサイトへアドレスからリンク出来なくてごめんなさい。まだまだ勉強不足です。松嶋さんのサイト、松嶋啓介で検索すると表示されます。

2012年2月23日木曜日

手作りウィーク

原宿のラフォーレの中に貴和第二製作所というアクセサリーのパーツ屋さんが2軒あります。
ピアスのパーツを買って作りました。と言ってもただピアスにチャームを通しただけですが。

先日買った布でランチョンマットを作りました。

ミシンが壊れて使えないと思い込んでいたのですが、どうやら糸のかけ方を間違えていたみたい。
最近こういう失敗が多いです。

ローマンシェードというカーテン作りに挑戦しました。

前のが色あせてしまって、よく見ると自分でも作れそうだったので、前のを分解しながらパーツを再利用して作ってみました。
縫うよりほどく方が大変でしたが何とか出来上がりました。

今週は毎日こんな事をしていたのでくたびれました。

大震災に思うこと

2月22日、ニュージーランドの地震から1年が過ぎました。

あの日ニュースを見た時には遠い所の出来事でしたが、その後身近な方のご親戚がその地震でお亡くなりになったと伺い、ご遺族のお気持ちをおもうと、あのニュースを見るのもつらく感じました。

まさかその後に日本でも恐ろしいことが起こるとは思ってもいませんでしたが。。。

私の実家は岩手県の一関という所にあります。宮城県境に位置した内陸部ですが、東は宮城県気仙沼市、岩手県陸前高田市と隣接しています。

沿岸部に親戚、友人、仕事関係等‥関わりのある方が多く居住しています。津波の被害があまりにもひどかったので、内陸部の被害はほとんど報道されませんでしたが、一関は4年前にも大きな地震があり、やっと道などが改修されたばかりの出来事でした。

私もなんどか震度5は体験していました。用心深い私は3・11以前から、ベットの脇にヘルメットと運動靴を置き、ラジオ付懐中電灯も用意していました。浴室には水用のポリタンク、家具には突っ張り棒、割れて困る食器には「ひっつき虫」という粘着剤を貼り、滑り止めのラバーマットを引いています。飛んで困る家電にも粘着剤で固定しています。

実家も同じような対策をしてあったので、細かいものは被害が少なかったのですが、大きなテレビは
飛び、男性5人で動かしてもびくともしない食器棚が10cm移動しました。
梁・柱がずれ、土壁が落ちて靴を履かないと家の中が歩けない状態でした。

修理するのに半年ほどかかりました。昨年夏に実家で過ごした時、地鳴りがしてから地震が来るので
怖かったです。その後に海外に出かけましたが、揺れてるはずがない所でもしばらくの間揺れてる感じが残ったほどでした。

地震の恐怖感は今の方が強くなったように思います。

震災関連の映像も見るのがつらいです。

震災後気仙沼に何度か行きました。気仙沼で自宅が津波から免れた友人2名が被災した方の支援をしています。
私と一関の友人2名とで、応援部隊を結成しました。

以前所属していた協会の方や、同級生、友人、そのまた関係グループなど、沢山の方の協力で
衣類をはじめ、台所用品、食器、断熱材等‥お送り出来ました。

まだまだ復興には程遠い状態のようですが、それでも知恵を出し合い地元の方々は頑張っています。

3月11日にはほかの友人が新宿の小田急のコンコースで支援のためのチャリティ会を行います。

気仙沼の「おひさま」という保育園は震災で園長さんがお亡くなりになり、園も流され、今、仮の場所で保育士さんが何とか再建にむけて頑張っています。コンクリートの床で底冷えがしていましたが、
皆さんのご協力で敷物や断熱材を送って頂き、冬の灯油代も寄付して頂きました。

山形の建設業の方が無償で園を建てて下さるというお話もあるようですが、その為に贈与税が40%かかるということで、こちらへの義媛金を募集しています。

気仙沼は漁業の街ですが、関連会社があった所が津波に合い、加工工場などの建造物がすっかりなくなってしまいました。仕事がなく、家族総出でわずかな仕事でもしなくてはならないのです。今は狭い仮設住宅で子供を保育園に預けなければ、仕事も出来ないので、保育園は大事な役割を担っています。

今日も友人から電話があり、日用消耗品の支援をして頂けると。。
困った時はお互い様、
一人一人は小さな力ですが、合わせれば強い力になります。

明日は我が身
これからもお手伝いしていけたらと思います。
協力して頂ける方いつでも大歓迎です。ご一報頂けたら嬉しいです。

2012年2月20日月曜日

一般公開講座

お誘いがあって「これからの医療の話をしよう 手遅れになってしまう前に」
という講演を聞いてきました。

埼玉県済生会栗橋病院院長補佐 NPO法人医療制度研究会副理事長の 
本田 宏先生のお話です。先生は外科医をなさりながら、全国このテーマで
講演をなさっているそうです。

簡単にお話しすると、日本の医療費は先進諸外国に比べるとはるかに安く
、医療従事者も医師、看護婦をはじめ常に不足した中で、彼らの重労働で
なりたっている非常に危惧する状況であるというお話でした。

興味を持たれた方はhppt://www.iryoseido.com/をご覧下さい。twitterでも
twitter:honda_hiroshiで発信していらっしゃるそうです。

お話は沢山のジョークを交え(先生、ジョーク多すぎです!笑)で本当に外科医?ですか
というくらいお話上手でした。おかげで重いテーマを楽しく伺うことが出来ました。

私自身入院・手術の経験があり、国立病院・大学病院・民間の病院・クリニックと
色々な医療機関にお世話になってきました。

一昨年父が入院した時にとても不安を感じる体験をしました。
父は肺気腫という持病がありました。痩せて体力が落ちてある日突然意識を失い
入院しました。人口呼吸器をつけ数日後の意識が戻りました。
暫くして幸いに人工呼吸器も外せるようになりましたが、医師の説明では専門医の元で
呼吸管理をしなければ生活は無理とのことでした。
1か月ぐらいすると転院の話が出ました。
東京では沢山の病院がありなんとかなるかと思いましたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
入院していた病院でも探してくださいましたし、私も知人の医師やネットなどで八方探しました。
いくつかの病院があがりましたが、いざ詳しい話になると受け入れてもらえません。
その理由が父が意識がはっきりしていることだったのです。手がかかるからです。

高齢で治る見込みがない患者を受け入れてもらえる病院がこの東京でさえ非常に少ないのです。
そして、それは看護師や医師不足のせいなのでした。

日本は長寿の国です。これは誰でもが医療を受けられるお蔭だと思います。でも、そうやって生き延びてきた果てがこういう現実なのです。
お年寄りがぽっくり寺にお参りに行くのはこういう現状に出会いたく無いため?
悲しいけれど、現実です。

確かに治る見込みのある病気の方が沢山空きベットを待っている中でベットを占領しているのは
申し訳ないかもしれませんが、家族としては複雑な想いの日々を過ごすことになりました。

年末にとても退院出来るとは思えない状態で退院することになりました。案の定、翌日には呼吸が苦しくなり救急車で再び病院に戻りました。ところが、呼吸器の医師は救急外来にはいるが、病棟には正月明けまでいなかったのです。入院しても苦しい呼吸は改善されることもなく、何故退院されたのか知りました。

初めて日本の医療の怖い部分を体験しました。

のちに介護をなさった方々から、3か月で転院の体験談を沢山伺い、このことはほんの一握りの話ではないことを実感しました。

医療現場で働いている方が一番感じていらっしゃるのでしょうが、日々の忙しさで声をあげて訴える暇さえないのでしょう。過労で職場を去る人も多いそうです。これでは悪循環です。

年金問題も少子化で支えるのが大変と言われていますが、健康を守るのも当たり前に思ってきたことが、当たり前でなくなる日が来るのかもしれません。