では先日ご紹介した、父の旅行記 後編をお届けします。
私達には無縁であったが、ディスコルームの喧騒はさすがであった。港に着いて観光に行く時は、その目的によって何種類ものコースがあり、ワッペンを胸に貼って、各々のグループのバスに乗り込む。好天気続きの七月の炎天下を、バスから降りて歩く距離が長い時は大変疲れて、余り欲張らないことだと思った。
昼は地中海沿岸の国々の人達の生活を見、夜は殆どがアメリカ人の集団の中での生活で、最初のうちは異様にさえ感じた。
地中海沿岸巡りは快晴に恵まれ、陽気な人々の快い笑顔に接して、モナコもカンヌもニースもそれは美しい風景で、碧青の海に感動の連続であったが、短い時間での観光は一個所重点主義に限る、特に美術館ではその感を強くした。
リボルノからフィレンツエへのバスの中では、数多い教会や美術館の見学に期待も大きかったが、ただ人混みの中を泳いでいる感じであった。
フィレンツエは街全体がルネッサンスの財宝をちりばめた一大美術館であり、バラ色の屋根が美しい花の大聖堂、広場にたつミケランジェロのダビデ像やヴェッキオ宮の重々しい建物、ルネッサンス期最高の美術を集めたウフィツイ美術館やピッティ美術館をはじめ、至る処に大芸術家の作品がみられるフィレンツエは、もっともっと時間のある時にゆっくり見たい。
船に帰ると今日はアメリカ合衆国の建国記念日でパーティのある日、フォーマルの服装に着替えて会場に行く。
翌日はイタリア第三の都市ナポリの観光の日であるが、疲れたのでバスによる主要観光地のゆったり観光コースを選び、ナポリ湾を見下ろすボシリボの丘のカフェでの小休止で、喉の渇きを癒しながらナポリ湾の素晴らしい絶景を眺めた。
次の日はベネチアまで、地中海からアドリア海に入り北上する一日中クルージングの日であり、
連日観光に着かれた船客は夫々がプールサイドやスポーツデッキ、カラオケデッキなどで時間を過ごしていた。
私は船の冷房で風邪気味となり、持参した薬の世話になる。日本から持参した粥食を食べてみた。うまくない。
部屋のデッキからアドリア海を眺めて時を過ごす。
船内プール 1
船内プール 2
船内劇場
コスモの戦いでこの船も砲撃を受けたことを聞いたが、思った程の戦時色や緊張感はなかった。
プールサイドでゲームを観戦、巨体が飛び込んで大波をたてると大拍手。スマートな若い女の子には口笛の声援、若い人は楽しそうである。
一日クルージングのお陰で身体は元気に快復出来た。
「ベニスです。水の都ベニス、大運河をゴンドラで行き交う情景は世界中の観光客の旅情を誘うはずです」 アドリア海の女王と呼ばれたベニスの歴史が今眼の前にある。
車の走れないこの町は、船のシャトルバスや水上タクシーから、この街のサンマルコの広場を初めとして寺院や宮殿、ルネッサンス様式の建物やバロック風の建物を見学しつつ、ムラーノ島のガラス工場、ガラスショップを遠望する。
此処の観光で初めてゆっくりと見学が出来た美術館、ペギー・グッケンハイムコレクションは素晴らしかった。
戦後美術の流れに大きな影響を与えたと云われる作品の数々を集め、抽象美術とシュールレアリズムの違いを教え、キュービズムからダダイズムへの移行の作品、更に未来派の作品へと展開、収集展示されており、絵画の新しい方向を教える作品のコレクトで説明する女性の英語も綺麗で判りやすかった。
アテネは旧跡の多い街で短時間の観光は無理なので、アテネ半日ゆったりコースというのを選んでアテネ市内の古代と現在の観光スポットを観光の後、アクロポリス周辺の眺望のよい丘からパルテノン神殿や周辺の古代ギリシャの遺跡の眺望を楽しんだ。
元気な人達は八、九時間かかる、しかも徒歩の多いコースを選んで、すっかり疲れて帰って来たようである。
クサダシは美しい海岸と、周辺にいくつもの遺跡を控え、エーゲ海有数のリゾート地で、古代都市エフェソスの玄関口として知られている。
エフェソス遺跡は、トルコの数多く残る遺跡の中でも最も壮大で保存状態も良いことで知られている。
かつて三十万の人口を誇った強力な都市の中心部、大理石の敷き詰められた大通り、ローマ時代の噴水アゴラや大理石の柱、二万四千人もの人が収容可能であった大劇場の跡、セルソスの図書館等々広大な敷地にぎっしりつまった遺跡に興味はつきないが、生憎の猛暑ですっかりグロッキーになり、坐り込む回数も増えた。
聖ヨハネの没した此の地の墓の上に建てられた、聖ヨハネの聖堂と廃墟と化したキリスト教の聖地を見学、また聖母マリアが迫害から逃れて住んだという家を見学、この辺から子供を混えた物売りが多くなり付きまとわれる。
イスタンブール、アジアとヨーロッパ両大陸にまたがる歴史的な大都市。此の都市の特徴は、昔の街並や建造物が、そのまま脈々と命を保って残っていることである。
アヤソフィア大聖堂、トプカピ宮殿などの文化跡が有名であるが、グランドバザールのように庶民に人気のある市場も有名だ。
400年にわたるオスマントルコ帝国の代々のサルタンの居城であったトプカピ宮殿は広大な宮殿で、中庭を囲んで建つ建物には、イスラム時代の金銀宝石を始め、陶磁器織物など当時の栄光を偲ぶ多くの品々が展示されている。
ブルーモスクは、内部が青のモザイクタイルで飾られ、ブルーモスクとして知られている。
トルコ帝国の最強の時代に造られたこのイスラム寺院は、天井のステンドグラスから差し込む光に青い壁面が反射し、幻想的な美しさをかもし出す。
長袖、長ズボン着用で入場し、靴は脱いで入る。
アヤソフィア大聖堂は、ギリシャ正教の本山として、ビザンチン建築の枠を集めて作られた壮大な寺院。オスマントルコ時代にイスラム教のモスクとされ、貴重なモザイク画の全てが塗りつぶされるなど、東西交流の要所になっている。
有名なグランドバザールは、三千軒の店が並ぶ広大なアーケード街で、金銀細工を始め絨毯、革製品専門店が多いと云われ、観光客のひしめいている処だが、一寸見ただけで雑踏に辟易して退散した。
ホテルはスイス人経営のなかなか良いホテルであったが、明日は帰国のため、荷物の整理、発送を行い、夕飯をと久しぶりにホテル内の和食堂に入った。
トルコの女性が和服を着てウエイトレスを務めるが、歩き方が外股で様になっていないので着物が泣いている。冗談を云いながら歩き方を教える。
すき焼きを頼んだが、矢張りその土地の美味しい物を食べるべきだと反省させられた。
翌朝のイスタンブール飛行場は大混雑。政情不安もあって警戒が厳しく、写真をとることも厳禁されている。この国においては現在スーパー、デパート等 人が集まる場所での警備体制は厳しく感じられたが、何といってもイスラム文化を直接感じ、東洋と西洋の接点としての印象が強烈で、もう一度この土地だけゆっくりと観光したい魅力を感じた。
父の旅行記を最後までお読み頂き、ありがとうございました。
バルセロナで乗船し、イスタンブールで下船 2週間の旅も寄港地の観光や船内のイベントをこなすとかなりのハードな旅 1フロアーの廊下の長さが150m以上はあるので、船内移動だけでも大変で、楽な旅を選択したはずでしたが、それでも父にはかなりきつかったのではと今になって思います。
車椅子を借りて移動すれば良かったと後悔しています。父にとって最初で最後のヨーロッパ旅行でした。
それでも好奇心旺盛の父は、沢山の方々にも気軽に声をかけて楽しんでいるようでした。