2012年3月24日土曜日
桜さくら
ブログのタイトルをまたまた変更しました。悪戦苦闘している私にアドバイス頂いたので、挑戦してみました。
こう度々タイトル変更して、全く何しているのかと自分でも恥ずかしいですが、こんなレベルなので、お許し下さいね!
雨の日が多くなって来ましたね。春が近づいているのかしら?
桜の開花予報、29日とでたようですが、まだダウン着ている人も多く本当かしらと思っちゃいます。
ワシントンでは例年より早く桜が満開になったようで、友人が来月ワシントンにお花見に行くと言っていましたが
間に合うかしら?
花の予想は難しいですね。
一関の街の中心に磐井川という川があり、昭和23年・24年に水害があり、犠牲者の慰霊と復興を祈願して植えられた
桜並木があります。厳しい冬が終わり、一斉に花々が咲きはじめるこの季節が大好きでした。
しかし、桜の根が土手を弱くしているという理由で、伐採されることになったようです。
あの見事な桜並木が無くなったら、「さあ、春が来た!頑張ろう」って思えなくなりそうで
残念でなりません。何とか残す方法がないのかしらと思います。
我が家の近くはお花見が出来る所が沢山あります。
目黒川の桜は中目黒付近は屋台が出て賑やかです。
白金台の八芳園の御庭も良いですよ。花嫁さんが写真撮影していたり、庭の鯉や盆栽も見事です。
東大医科学研究所の中は八重桜が綺麗です。お散歩しながらレトロなレンガ造りの建物を眺めて見るのも楽しいです。
地下鉄白金台駅出て直ぐの所にあります。
東京は緑が少ないと言われていますが、桜は多いように思います。
新宿御苑の桜も素敵です。お弁当を持って出掛けてみませんか?
あなたは何処の桜が好きですか?
2012年3月22日木曜日
地中海クルージング
今日は朝からなんだか頭がぼんやり。そんな日は好きなCD、Bossa n' Stones 2を聞きながら
身体に従ってダラっと過ごします。
久しぶりに旅話をします。
スペインのバルセロナからトルコのイスタンブールまで2週間の船旅をしました。
飛行機でロンドン経由でバルセロナに入国。
バルセロナでホテルに1泊し、ピカソ美術館やミロの美術館・ガウディの建造物サクラダファミリア・クエル公園などを見学し、船に乗船。
船は「グランド プリンセス」http://www.princesscruises.jp/s_grand/
乗客2594名、乗組員2500名。世界中からの乗客の中、日本人は父と私の二人だけでした。
医師2名・看護婦5名・介護士10名。車いすの乗客も多いです。
毎日、お部屋には船内新聞が届きます。明日の寄港地のことや、船内のイベント、食事の時のドレスコードなどが書かれています。乗船時に顔写真付きのIDカードが作成されます。船内の買い物や乗下船時の確認証として使われます。船の場合、チップは始めにまとめて支払ます。金額も提示されます。
食事は「サバティーニ」以外のレストラン、24時間営業のブッフェスタイルのレストラン、アイスクリームショップ、プールサイドのBarもすべて料金に含まれているので、何度利用しても特別なアルコール以外料金はかかりません。
メインダイニングは最初に席が決められ、私たちはニューヨークから来たインド人の医師のご夫妻と同席でした。この奥様とても細身の方なのに、よく召し上がるのです。
メインダイニングのディナーは毎晩フルコース。量もしっかりあり、私達はいつもメインのおかずにたどり着くころは満腹状態なので、デザートはギブアップ。彼女は毎回しっかり完食し、「何故デザート食べないの?」と不思議そうに聞きます。何故そんなに食べれるのって聞きたかったです。
そんな訳で、何回かは自由に量を選べるブッフェで食事をしました。ここではドレスコードも関係ないので、Tシャツに短パンでもOKです。
ドレスコードはフォーマル、セミフォーマル、フリーとあり、フォーマルは3回、セミフォーマルは2回ありました。昼間はTシャツ・短パン・ゴム草履の人がほとんどですが、フォーマルの日は、タキシードにドレス姿。おしゃれした人を見ているだけで楽しくなります。
船室はスイートルームだったのですが、手違いがあり、W BED。父と2週間このベッドで寝るのかと思ったら一瞬帰りたくなりました(笑)父も同様だったようで、お互いにベットの右側と左側に落ちない程度ぎりぎりに寝ていました。
幸いなことに毎日ハードスケジュールで爆睡したので、いつの間にか気にもならなくなりましたが
船の中には大劇場もあり、映画やショーが催されます。他にもダンスや、KARAOKE、プールサイドでのゲーム大会など、船上だけでもイベント盛り沢山で、自分の体力とよく相談して参加しないと
観光する体力がなくなってしまいそうです。
寄港地に着くとツアーに行くバスが何十台と待っています。コース毎に胸にシールを貼りバスに乗るまでも大仕事です。
最初の寄港地はフランスのニースです。ツアーは体力に合わせて様々なコースがあり、父の為になるべく楽なコースを選択しました。
ニースからカンヌにバスで行き、ランチをして自由時間。父はあまり歩けないので目の前にあるヨットハーバーの前の公園で、街の人がペタングというゲームをするのをずっと眺めていました。
2回目の寄港地はモナコ
港から通りに出て右手に行くと、丘の上に出るエレベーターがあります。のんびりとヨットハーバーで豪華なヨットを見ながらお茶をします。
3回目の寄港地はイタリアのリボルノ。
ここからバスでフィレンツエに行きました。
ここは建物を守るため中心部に車が入れず、歩いての観光です。父はすぐに同じコースの方についていけず集合場所を聞いて別行動に。
馬車なら良いだろうと乗ってみましたが、なんともいい加減な馬車でさらっと終わり、ウフィッツエ美術館に行きました。7月の観光シーズンとセキュリティチェックが厳しくなり、何百人という人が並んでいました。これでは集合時間に間に合うか不安でしたが、歩くのが辛いといういうのでとにかく並ぶことに。1時間くらい並んだけれどそれでも入れず、これから入れても集合時間に間に合わなくなりそうなので、諦めて集合場所に移動することにしました。
皮製品のお店が立ち並ぶ通りを歩きサンタクローチェ教会前の広場が集合場所です。ところがこの広場色んなツアーの集合場所になっているらしく立っているのがやっとの人混み。
そこに30分以上待たされたあげくバスまで更に15分ほど歩くことに。
お年寄りの多い我々のツアーは、「こんなに待つのならバスの場所を早くに教えてくれたら、ゆっくりバスに迎えたのに」といきり立つ老人続出。ガイドの若いイタリア人の女の子も負けてはいない。
しまいにはそっぽをむいてしまった。
日本のツアー事情とはかなり違うこのやりとり。なかなか面白かったけれど、父には疲れただけのフィレンツエになってしまいました。
船に帰るとアメリカ合衆国の建国記念日のパーティがあった。乗客の多くがアメリカ人だったためか、フォーマルでのディナー。大忙しの1日でした。
翌日はナポリ
5回目の寄港地はベネチア
船が街に近づき美しその景色にうっとりです。汽車でこの街に入るのとは全然異なるイントロに言葉を失います。
ペギーグッケンハイム美術館をゆっくり見学し、目当てのレストランで魚介類のお食事を堪能。
6回目の寄港地はギリシャのアテネ
毎日天候に恵まれ暑い。疲れも出てきた父の為に歩かなくていい楽々コースを選択。
7回目の寄港地はトルコのクスダシ
エフェソス遺跡を見学。かなりの遺跡群は圧巻だったが、ここも広大で暑さの中はかなりハードでした。聖ヨハネ聖堂を見学。
そしていよいよイスタンブール着
2週間の船旅は長いと思っていましたが、毎日盛り沢山であっという間でした。
下船後ブルーモスク・アヤソフィア大聖堂・トプカピ宮殿・グランドバザール等々観光。
ホテルに日本食レストランがあり、久しぶりに日本食を堪能??
父はトルコ人のウェイトレスが着物を着ているのに、歩き方がおかしいとコーチをし、無事に
クルーズの旅を終了。
もっと早くに行ったらもう少し歩けたのに残念がった父の言葉が今でも耳に残ります。
身体に従ってダラっと過ごします。
久しぶりに旅話をします。
スペインのバルセロナからトルコのイスタンブールまで2週間の船旅をしました。
飛行機でロンドン経由でバルセロナに入国。
バルセロナでホテルに1泊し、ピカソ美術館やミロの美術館・ガウディの建造物サクラダファミリア・クエル公園などを見学し、船に乗船。
船は「グランド プリンセス」http://www.princesscruises.jp/s_grand/
乗客2594名、乗組員2500名。世界中からの乗客の中、日本人は父と私の二人だけでした。
医師2名・看護婦5名・介護士10名。車いすの乗客も多いです。
毎日、お部屋には船内新聞が届きます。明日の寄港地のことや、船内のイベント、食事の時のドレスコードなどが書かれています。乗船時に顔写真付きのIDカードが作成されます。船内の買い物や乗下船時の確認証として使われます。船の場合、チップは始めにまとめて支払ます。金額も提示されます。
食事は「サバティーニ」以外のレストラン、24時間営業のブッフェスタイルのレストラン、アイスクリームショップ、プールサイドのBarもすべて料金に含まれているので、何度利用しても特別なアルコール以外料金はかかりません。
メインダイニングは最初に席が決められ、私たちはニューヨークから来たインド人の医師のご夫妻と同席でした。この奥様とても細身の方なのに、よく召し上がるのです。
メインダイニングのディナーは毎晩フルコース。量もしっかりあり、私達はいつもメインのおかずにたどり着くころは満腹状態なので、デザートはギブアップ。彼女は毎回しっかり完食し、「何故デザート食べないの?」と不思議そうに聞きます。何故そんなに食べれるのって聞きたかったです。
そんな訳で、何回かは自由に量を選べるブッフェで食事をしました。ここではドレスコードも関係ないので、Tシャツに短パンでもOKです。
ドレスコードはフォーマル、セミフォーマル、フリーとあり、フォーマルは3回、セミフォーマルは2回ありました。昼間はTシャツ・短パン・ゴム草履の人がほとんどですが、フォーマルの日は、タキシードにドレス姿。おしゃれした人を見ているだけで楽しくなります。
船室はスイートルームだったのですが、手違いがあり、W BED。父と2週間このベッドで寝るのかと思ったら一瞬帰りたくなりました(笑)父も同様だったようで、お互いにベットの右側と左側に落ちない程度ぎりぎりに寝ていました。
幸いなことに毎日ハードスケジュールで爆睡したので、いつの間にか気にもならなくなりましたが
船の中には大劇場もあり、映画やショーが催されます。他にもダンスや、KARAOKE、プールサイドでのゲーム大会など、船上だけでもイベント盛り沢山で、自分の体力とよく相談して参加しないと
観光する体力がなくなってしまいそうです。
寄港地に着くとツアーに行くバスが何十台と待っています。コース毎に胸にシールを貼りバスに乗るまでも大仕事です。
最初の寄港地はフランスのニースです。ツアーは体力に合わせて様々なコースがあり、父の為になるべく楽なコースを選択しました。
ニースからカンヌにバスで行き、ランチをして自由時間。父はあまり歩けないので目の前にあるヨットハーバーの前の公園で、街の人がペタングというゲームをするのをずっと眺めていました。
2回目の寄港地はモナコ
港から通りに出て右手に行くと、丘の上に出るエレベーターがあります。のんびりとヨットハーバーで豪華なヨットを見ながらお茶をします。
3回目の寄港地はイタリアのリボルノ。
ここからバスでフィレンツエに行きました。
ここは建物を守るため中心部に車が入れず、歩いての観光です。父はすぐに同じコースの方についていけず集合場所を聞いて別行動に。
馬車なら良いだろうと乗ってみましたが、なんともいい加減な馬車でさらっと終わり、ウフィッツエ美術館に行きました。7月の観光シーズンとセキュリティチェックが厳しくなり、何百人という人が並んでいました。これでは集合時間に間に合うか不安でしたが、歩くのが辛いといういうのでとにかく並ぶことに。1時間くらい並んだけれどそれでも入れず、これから入れても集合時間に間に合わなくなりそうなので、諦めて集合場所に移動することにしました。
皮製品のお店が立ち並ぶ通りを歩きサンタクローチェ教会前の広場が集合場所です。ところがこの広場色んなツアーの集合場所になっているらしく立っているのがやっとの人混み。
そこに30分以上待たされたあげくバスまで更に15分ほど歩くことに。
お年寄りの多い我々のツアーは、「こんなに待つのならバスの場所を早くに教えてくれたら、ゆっくりバスに迎えたのに」といきり立つ老人続出。ガイドの若いイタリア人の女の子も負けてはいない。
しまいにはそっぽをむいてしまった。
日本のツアー事情とはかなり違うこのやりとり。なかなか面白かったけれど、父には疲れただけのフィレンツエになってしまいました。
船に帰るとアメリカ合衆国の建国記念日のパーティがあった。乗客の多くがアメリカ人だったためか、フォーマルでのディナー。大忙しの1日でした。
翌日はナポリ
5回目の寄港地はベネチア
船が街に近づき美しその景色にうっとりです。汽車でこの街に入るのとは全然異なるイントロに言葉を失います。
ペギーグッケンハイム美術館をゆっくり見学し、目当てのレストランで魚介類のお食事を堪能。
6回目の寄港地はギリシャのアテネ
毎日天候に恵まれ暑い。疲れも出てきた父の為に歩かなくていい楽々コースを選択。
7回目の寄港地はトルコのクスダシ
エフェソス遺跡を見学。かなりの遺跡群は圧巻だったが、ここも広大で暑さの中はかなりハードでした。聖ヨハネ聖堂を見学。
そしていよいよイスタンブール着
2週間の船旅は長いと思っていましたが、毎日盛り沢山であっという間でした。
下船後ブルーモスク・アヤソフィア大聖堂・トプカピ宮殿・グランドバザール等々観光。
ホテルに日本食レストランがあり、久しぶりに日本食を堪能??
父はトルコ人のウェイトレスが着物を着ているのに、歩き方がおかしいとコーチをし、無事に
クルーズの旅を終了。
もっと早くに行ったらもう少し歩けたのに残念がった父の言葉が今でも耳に残ります。
本のご紹介
気仙沼の中村さんからのメールをご紹介します。
それでもなお 「感謝と勇気、日本人の奉仕の精神 」「世界の平和」を願って書いている人たちがいた。震災を心に刻み、後世に伝えることが残された者の責務である。
つなぎの会メンバーの高橋さん、中村さんも投稿しています。
柳さん(本を出版した方)から届いた 感想文や地元新聞に載った記事を貼りつけたものから 抜粋してお知らせします。
今日は柳さんの本を出そうと思ったきっかけの話を聞いて 胸が熱くなりました。いつも親しくされていたおじいちゃんが津波で亡くなったのだそうです。そのおじいちゃんは小学校の紙芝居のボランティアに行ったり 紙芝居を沢山自腹で買って子供たちに読んであげるのを楽しみにしていたそうです。親を亡くした子供たちに毎月五千円ずつ 何十年も 贈ってきたそうで そういう人たちが いたことを忘れないためにも 本を出そうと決めたそうです
収益は震災で孤児になった子供に送られます。沢山の方に読んで頂けたらと思います。
三陸新聞2011・12・9から
①「3・11 その時 それから わたしたちが伝えたかったこと‐31人の声」(柳希世嘉子・山内繁編著) ツーワンライフ出版 を読み未曾有の大震災の日々を改めて振り返った。
岩手県のツーワンライフから、先月10日に発行された一冊。気仙沼在住の人たちを中心に、一関市や角田市など 主婦や教諭、商店主の立場での寄稿文と地理学会で発表された論文抜粋などが掲載されている
「経験したこと」「行動したこと」「思ったこと」「感謝」など被災した人たちがどのようにして助かったのか。その後 どのような活動をしたのか 今をどう生きているのか そして東京消防庁や自衛隊に対する思いなどがあり 一人一人の文章に胸が熱くなった。
反省もあり未来に向けた提言もある。震災で家族を失ったり 家を流されたりした人の大変さは計りしれない。直接的被害がなくても二次災害 三次災害など多くの人たちが心に傷を負い 日を追うごとに精神的疲れが出てきているのも現実である。
千葉県の読者の方の感想
② 私は読んでは休み… という やはり体験された方々の文章は迫るものがあり一気に読めません。気仙沼の方々の声を一つに集めて後に残す 伝えることの大切さを感じます。結集された柳さんはリスペクトです。高知の読書会のメンバーにぜひ読んでもらいたいと まず私が読んだら送る予定です。
つなぎの会メンバーの高橋さん、中村さんも投稿しています。
こちらのサイトで購入出来ます。
2012年3月18日日曜日
孤独の自由 なるほどね!
昨日は1日食べるのも忘れてパソコンと格闘し、疲れ果てて爆睡してしまい気が付いたら午前4時。
身体痛いです。トホホ
こんな生活が出来るのも孤独の自由???
この言葉は先日俳優の仲代達矢氏が言った言葉です。そうそう、これこれって思っちゃいました。
何それ~って思ったあなたは幸せなんですよ
世の中には敢えて孤独を楽しむ方もいますがね
日本人って、悲しさや淋しさを表に出すのが下手な人種なんじゃないかなと私は思います。
震災で大変な体験をした方も、もっと怒ったり泣いたり叫んだり、悲しいって表に出していいのに
じっと耐えて「頑張ります」「前を向いていくしかないから」なんて言ってしまうけど、人間そんなに強い人ばかりじゃないでしょう?
だから私は「頑張らないで」って言っています。だって辛さに必死に耐えてるだけで充分頑張っていらっしゃるのだから
「侍文化」のなせる業か、子供の頃「泣くんじゃない」って言われて育ったせいなのか、大人が泣くのは
みっともないになっているような気がします。
外国で不幸なことが起こると、泣いている人や叫んでいる人多いですよね。
たま~に涙を小道具に生きてる人もいるけど、私は泣ける人って素直だな~と思ったり、甘え方が上手な人なんだな~って羨ましく思います。
仲代氏は無名塾の稽古場が1階にあり、上に自宅があるそうです。下に居る時は若い人に囲まれて賑やかだけど、上にあがると孤独を感じると。。。
ぽっかり空いた心の穴は簡単には蓋が出来ないもの。まして、埋めるなんて難しい。
私にとって蓋がしまる一番の方法は「旅に出る」ことです。特に海外に行くとしっかり蓋が閉まります。海外にいっぱい出かけたのは如何に蓋を閉めまくっていたかですね(笑)
海外旅行は言葉が通じないから全神経使いまくりの状態になります。不慣れな街を歩くのも、日本のように治安が良いとも限らないし、それだけでも頭はいっぱいになります。
でもそれだけではただ疲れに行くようなもの。歴史ある建物を見たり、安全な美術館の中で大好きな絵や工芸品を見たり、勿論美味しいものを食べて買い物をして。。。知らないうちに蓋は閉まっています。
ただ、困ったことに帰国した途端この反動がドドーンと襲うこと
多分旅の疲れもあるのでしょうが、あ~淋しいって落とし穴にどぶーん
何を贅沢な、忙しくて旅行なんて行ってる暇もないわよってお思いの方もいらっしゃるでしょうが
これが私の孤独の自由なんですよね。
ブログのページのレイアウトが変わりました。不具合が生じて訂正が出来なかったので、違うパターンにしてしまいました。お仲間登録して下さったikumitさん、登録が消えちゃってごめんなさい。
絵付けのページ、写真更新しました。宜しかったらこちらも見て下さいね。
身体痛いです。トホホ
こんな生活が出来るのも孤独の自由???
この言葉は先日俳優の仲代達矢氏が言った言葉です。そうそう、これこれって思っちゃいました。
何それ~って思ったあなたは幸せなんですよ
世の中には敢えて孤独を楽しむ方もいますがね
日本人って、悲しさや淋しさを表に出すのが下手な人種なんじゃないかなと私は思います。
震災で大変な体験をした方も、もっと怒ったり泣いたり叫んだり、悲しいって表に出していいのに
じっと耐えて「頑張ります」「前を向いていくしかないから」なんて言ってしまうけど、人間そんなに強い人ばかりじゃないでしょう?
だから私は「頑張らないで」って言っています。だって辛さに必死に耐えてるだけで充分頑張っていらっしゃるのだから
「侍文化」のなせる業か、子供の頃「泣くんじゃない」って言われて育ったせいなのか、大人が泣くのは
みっともないになっているような気がします。
外国で不幸なことが起こると、泣いている人や叫んでいる人多いですよね。
たま~に涙を小道具に生きてる人もいるけど、私は泣ける人って素直だな~と思ったり、甘え方が上手な人なんだな~って羨ましく思います。
仲代氏は無名塾の稽古場が1階にあり、上に自宅があるそうです。下に居る時は若い人に囲まれて賑やかだけど、上にあがると孤独を感じると。。。
ぽっかり空いた心の穴は簡単には蓋が出来ないもの。まして、埋めるなんて難しい。
私にとって蓋がしまる一番の方法は「旅に出る」ことです。特に海外に行くとしっかり蓋が閉まります。海外にいっぱい出かけたのは如何に蓋を閉めまくっていたかですね(笑)
海外旅行は言葉が通じないから全神経使いまくりの状態になります。不慣れな街を歩くのも、日本のように治安が良いとも限らないし、それだけでも頭はいっぱいになります。
でもそれだけではただ疲れに行くようなもの。歴史ある建物を見たり、安全な美術館の中で大好きな絵や工芸品を見たり、勿論美味しいものを食べて買い物をして。。。知らないうちに蓋は閉まっています。
ただ、困ったことに帰国した途端この反動がドドーンと襲うこと
多分旅の疲れもあるのでしょうが、あ~淋しいって落とし穴にどぶーん
何を贅沢な、忙しくて旅行なんて行ってる暇もないわよってお思いの方もいらっしゃるでしょうが
これが私の孤独の自由なんですよね。
ブログのページのレイアウトが変わりました。不具合が生じて訂正が出来なかったので、違うパターンにしてしまいました。お仲間登録して下さったikumitさん、登録が消えちゃってごめんなさい。
絵付けのページ、写真更新しました。宜しかったらこちらも見て下さいね。
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