1992年6月30日から7月4日まで、INTERNATIONAL PORCELAIN ARTISTS AND TEACHERS INC.というアメリカに本部のある絵付けの国際的協会の2年に1度の大会がコロンバスで開催されました。
HYATT REGENCY HOTELをほぼ貸し切っての大きな大会です。
世界中から参加者が集まるチャイナペインターズの祭典です。競技会・展示会・勉強会・パーティー・観光ツアー・100以上のブースでは絵付けに必要な材料や作家の作品を購入出来ます。
展示会には3点以内・競技会には1点事前登録で出展出来ます。
6月27日成田を出発し、デトロイトで国内線に乗り換えコロンバス到着
28日は1日フリータイム
ホテル付近の公園にお散歩に出かけてみました。何やらヘビメタ系?の男の人が集まっていて、
なんだろうと近づいてみると、なんとゲイの集会
いきなり、アメリカだ~ってびっくりでした。
その後ホテルからの送迎バスを利用して、大型ショッピングモールに行ってみました。
いまでは日本でも珍しくないですが、広い広いモールでした。
夜は日本から一緒に参加した皆さんと、モールで買ったデリバリーのお料理で、パーティーをしました。
その時の写真を見ると、みんなすごく若~い(笑)
29日は朝7時半に集合して、バスで2時間半の所にあるamish country tour に行きました。
アメリカには100年前の移民して来た当時の生活を、今なお変わらずしている地区があります。
電気・ガスもなく、交通手段は馬車、服装も当時のままです。広い田園風景の中に木造の家が
点在します。この家もこの地区に住む人たちで協力して建てられます。
http://www.visitamishcountry.com/
「大草原の小さな家」というアメリカの大好きなドラマを思い出しました。
30日は8時から展示品のエントリー手続き開始
9時に集合して市内観光と印象派の作品が集められたシラクコレクションを公開中のコロンバス美術館の見学に行きました。
何処に行っても広くて平らでアメリカの大きさを肌で感じます。
お昼にはホテルに戻り、デモンストレーションやワークショップ(勉強会)、コマーシャルブース(店)など、各自参加。いよいよ本格的に大会が開始されました。
デモンストレーションは3ドルで見学出来ます。
あまりに沢山のプログラムがあるので、どれに参加するか選択に迷いました。
ホテルの中はギンギンに冷房が効きすぎていて、日本人の私達には拷問のよう。冷房対策に新聞紙を洋服の下に忍ばせたり、思わぬことになりました。
夜は6時からパーティー
参加58ヶ国の国旗が掲揚され、各国の民族衣装で参加する方も多数。そうじゃないかたもドレスアップしての参加です。メキシコの鮮やかな衣装や我々日本の着物に人気が集中して、いろんな国の方から記念撮影をリクエストされて、モテモテでしたね。
私は着物は持参しませんでしたが、約10名の方が着物姿で盛り上げて下さいました。
10時まで楽しい時間を過ごしました。
7月1日昨日同様各自お勉強会に参加
私もヨーロピアンスタイルのペインターのマイセンスタイルの絵付けなどに参加しました。
夜は植物園で開催されている花の万博を見ながら、バイキングのお食事を楽しみました。メリーゴーランドに乗ったり、バラ園を散策したり、10時までゆったりとした時間を過ごしました。
7月2日今日もお勉強会 夜は同行の日本人グループだけで和食を食べに出かけました。
7月3日7時に集合して、朝食会の打ち合わせをしました。この会はオーストラリア・アジアからの参加者主催のものです。オーストラリアで流行していたシルクにハンドペイントした服のファッションショーを見ながらの朝食会となりました。
近くでコロンバスの消防団による有名な中西部最大の独立記念式典が開催されるということでしたが、連日早朝から夜遅くまで盛り沢山のプログラムで、流石に疲れてしまい出かけませんでした。
夜も馬車レースを楽しむツアーがありましたが、これもパスしました。
なにしろ勉強だけでなく、退屈させない盛り沢山のプログラムがあり、アメリカ人のパワーに驚かされます。アメリカではシニアの方の愛好者も多く、このような大会にはご主人同伴の方も沢山います。ご主人が退屈しないように、釣りやゴルフのプログラムもあり、至れりつくせり
アメリカのこのように大きな大会の企画の凄さに感心しましたし、このような体験が出来て良かったと思いました。
7月4日12時半から出店した作品を搬出
今日ですべてのプログラムが終了します。慌てて買い忘れた材料を買ったり、夜は最後の大きなGALA PARTYが開かれるし、明日は早朝にホテルのチェックアウトをするので、慌ただしく荷物の整理です。沢山買った材料でパッキングも大変!
夜7時15分 いよいよPARTYの始まりです。みなドレスを着て、親しくなった各国のペインターの方と記念撮影をしたり、エルビスのそっくりさんのショーを楽しみ(参加者の年齢に合わせた選択だったかしら)、ダンスをする方がいたりと、大盛り上がり
夜中の12時半まで、本当にエネルギー溢れるI.P.A.Tの大会最後の夜でした。
7月5日朝4時起床。6時にホテルを出て一路空港へ
帰りの航空券をホテルで捨ててしまった方がいて、大変な出国になりました。国内線でデトロイトに行き、帰国する方はここから日本へ
私は同行のお友達とニューヨークに行くために、ここで皆さんとお別れです。なんと、ここで友人と遭遇!彼女はマスターズ水泳大会に参加するためにデトロイトに来ていたとか。
東京でも偶然会うことがないのに、こんな所で会うとはびっくりでした。
友人と3人でニューヨーク着。同行のお友達のご子息がニューヨークに住んでいたので、とても素敵なNYの過ごし方が出来ました。
セントパトリック教会・ロックフェラービルディング・トレードセンターなど、今になってみればというこれぞNYを観光
ホテルはRIHGA ROYAL HOTELに泊まりました。ここは近代美術館のすぐそばで、フィフスアベニューとブロードウェイーの中間地点というとても便利な所。全館スイートルームで3人でもゆったりとした素敵なお部屋でした。
6日午前中はメトロポリタン美術館をゆっくり堪能し、午後はショッピング。Bergdorf Goodmanは高級デパート。欲しいものだらけで女三人には行ってはいけない怖い場所??
夜はブロードウェイで「ミス サイゴン」ミュージカルを見ました。
8時から始まったので終わったのは深夜。三人で腕組みして襲われないよう(笑)歩いてホテルまで帰りました。
7日いよいよ最後の日、なかなか取れないチケットをご子息様がとってくれたので、メトロポリタン劇場でKIROV OPERA THE SUBSTANCE OF FIREを鑑賞
楽しい楽しい旅でした。
I.P.A.T.のことは前にも書いたような気がしますが、絵付けをなさっている方の参考のために
http://ipatinc.com/
アメリカにはWOCPという同じような協会があります。
http://www.theshop.net/wocporg/
2012年8月31日金曜日
2012年8月30日木曜日
あの日
気仙沼で仮設商店街 復幸マルシェを立ち上げ、頑張っているいつも前向きな小野寺さんが、facebookで、彼女が体験した3・11の事を語っています。
どこに住む者であっても、心しておかなければならない今、過酷な中でも助け合って生きぬいた
彼女たちのその時を私たちも学習しておかなければと思いました。
東京では近隣のお付き合いが希薄です。私の住むマンションでも、会えばご挨拶は交わしますが
3・11からの数週間、建物内でほとんど人に会うこともありませんでした。
あの時ほど孤独な東京暮らしを感じたことはありませんでした。
もし、何かが起こったらと考えると、不安になります。
1年以上たってから、親しい友人も同じ思いだったと聞きました。家族だけでなく友人同士でも、日ごろから有事の際のネットワーク作りを考えておいたほうがいいですね。
高台の親戚宅から、この光景を見ていました。
真っ暗な夜に、街が真っ赤に燃えて、プロパンガスがバーン!バー ン!と爆発音をたてていて、火の気がこっちにきたら、ここも逃げ るようだねと何度もカーテンを開け外の様子を見ていました。
翌朝、外にでるとこの光景。
豊かな生活から一瞬にして、戦時中の生活の転落。
井戸水を汲み、マキでご飯を炊き、用水路でヘドロの衣類を手洗い し、主人と息子は、ヘドロまみれの缶詰や缶コーヒーを拾い集め、スト ーブで温め、皆で食べたり、飲んだりしました。
また男手が必要だと 遺体を高台に上げたりもしていました。
一瞬にして多くのものを失いましたが、
不思議な事に、避難所の皆は常に笑っていました。
会う友達との会話も 『うち、家なくなったの!』 『うちも~( 笑)』
『車、流しちゃった!』 『うち一台!』 『うちは二台よ~(笑 )』 てな具合でした。
あまりの大惨事で、泣き言をいう人やメソメソしてる人はいません でした。 不思議に思うかもしれませんが、みんながゲラゲラと笑 って過ごしていました。
電気がないので、夜の星は、本当にキレイでした。
食糧等の支援物資は、そこにいる人たちで均等に分け合いました。
不平不満を言う人もいませんでした。
『助け合うこと』 『分かち合うこと』 は日本人のDNAに組み 込まれているんだと確信し、避難所で本来ならとても大変な状況な のですが、
『日本人で本当によかったなあ~。』 と幸せな気持ちで過ごしま した。
何も持たずに避難して、多くの方に支えられて、今日まできました 。
築4年の自宅は全壊、店舗は流出。
一見、不幸に見えますが、
『命があれば、また歩きだせる』 『人との繋がりが何よりの財産 』
気づくものもたくさんありました。
この写真を提供してくれた気仙沼市内の写真屋さんも
被災し、その中でも息子の高校の卒業アルバムの再発行や
クラス写真を洗浄し、皆さんの手に渡るようにしてくださいました 。
今でも、あの時のうれしさをはっきり覚えています。
私たちは、マイナスからゼロに向かって歩いているかもしれません が
前進している事には、変わりありません。
生き残った以上、前に進むしかないのです。
...
現在の復幸マルシェ
小野寺さんのお店には来た人とお喋りをするコーナーもあります。
facebookでは美味しい取扱食材も紹介されています。facebookなさっている方はご覧下さいね。
お取り寄せも出来ますよ!
http://www.facebook.com/pages/山長-小野寺商店/411496898889412#!/ShishioriMarche/info
復幸マルシェHPアドレスです
http://www.shishiori-marche.jp/
真っ暗な夜に、街が真っ赤に燃えて、プロパンガスがバーン!バー
翌朝、外にでるとこの光景。
豊かな生活から一瞬にして、戦時中の生活の転落。
井戸水を汲み、マキでご飯を炊き、用水路でヘドロの衣類を手洗い
また男手が必要だと 遺体を高台に上げたりもしていました。
一瞬にして多くのものを失いましたが、
不思議な事に、避難所の皆は常に笑っていました。
会う友達との会話も 『うち、家なくなったの!』 『うちも~(
『車、流しちゃった!』 『うち一台!』 『うちは二台よ~(笑
あまりの大惨事で、泣き言をいう人やメソメソしてる人はいません
電気がないので、夜の星は、本当にキレイでした。
食糧等の支援物資は、そこにいる人たちで均等に分け合いました。
不平不満を言う人もいませんでした。
『助け合うこと』 『分かち合うこと』 は日本人のDNAに組み
『日本人で本当によかったなあ~。』 と幸せな気持ちで過ごしま
何も持たずに避難して、多くの方に支えられて、今日まできました
築4年の自宅は全壊、店舗は流出。
一見、不幸に見えますが、
『命があれば、また歩きだせる』 『人との繋がりが何よりの財産
気づくものもたくさんありました。
この写真を提供してくれた気仙沼市内の写真屋さんも
被災し、その中でも息子の高校の卒業アルバムの再発行や
クラス写真を洗浄し、皆さんの手に渡るようにしてくださいました
今でも、あの時のうれしさをはっきり覚えています。
私たちは、マイナスからゼロに向かって歩いているかもしれません
前進している事には、変わりありません。
生き残った以上、前に進むしかないのです。
...
現在の復幸マルシェ
小野寺さんのお店には来た人とお喋りをするコーナーもあります。
facebookでは美味しい取扱食材も紹介されています。facebookなさっている方はご覧下さいね。
お取り寄せも出来ますよ!
http://www.facebook.com/pages/山長-小野寺商店/411496898889412#!/ShishioriMarche/info
復幸マルシェHPアドレスです
http://www.shishiori-marche.jp/
2012年8月28日火曜日
辻井伸行 ピアノリサイタル
辻井さんのピアノ演奏は前からとっても聞きたかったのですが、それが八ヶ岳高原の音楽堂で開催されると知って、頑張って予約をとり行って来ました。
八ヶ岳の音楽堂も前から行ってみたい所でした。
昼間は東京と変わらぬ暑さでしたが、リサイタルが始まる夕方には涼しくなって、赤とんぼが沢山いました。
演奏前に軽いサンドイッチを頬張りながら、ワインをと言いたい所ですが、私は飲めないのでジュースで、会場内と外の芝生の空間が一体になったこの場所は、ただ居るだけでも気持ちが良い所です。
席が会場で抽選で決まる方式でしたが、友人が良い席を引いてくれて、タッチが見えました。
とても軽やかに弾いているようにいるように見えるのに、力強い音色。ピアノが彼の体の一部のようでした。
期待通りの森の中の木がふんだんに使われた素敵な建物。明るい時間から演奏は始まり、徐々に陽が落ちていくのをバックに、感動の演奏が。
第1部はコルトナの朝・はやぶさ 遥かなる帰還など彼のオリジナル曲7曲
第2部はアラベスク・別れの曲・革命のエチュード・ラ カンパネラ・リゴレット パラフレーズなど7曲
月の光が演奏される頃、外も暗闇になり月の光が現れました。
彼の息使いが聞こえる小ホールでの贅沢で、心地良い時を過ごしました。
やはり、彼の演奏は素晴らしかったです。
アンコールにも沢山応えてくれて、パワーあるな~若いな~って思いました。
彼の自作曲は、優しさを感じました。前にテレビで見たベルリンを訪れた時のドキュメンタリーの映像を思い出しながら、聞いていました。
来年も開催しそうですので、是非体験してみて下さい。
途中で鹿の群れにも会いました。夜は寒いくらいでしたので、久しぶりにぐっすり眠れました。
八ヶ岳の音楽堂も前から行ってみたい所でした。
昼間は東京と変わらぬ暑さでしたが、リサイタルが始まる夕方には涼しくなって、赤とんぼが沢山いました。
演奏前に軽いサンドイッチを頬張りながら、ワインをと言いたい所ですが、私は飲めないのでジュースで、会場内と外の芝生の空間が一体になったこの場所は、ただ居るだけでも気持ちが良い所です。
席が会場で抽選で決まる方式でしたが、友人が良い席を引いてくれて、タッチが見えました。
とても軽やかに弾いているようにいるように見えるのに、力強い音色。ピアノが彼の体の一部のようでした。
期待通りの森の中の木がふんだんに使われた素敵な建物。明るい時間から演奏は始まり、徐々に陽が落ちていくのをバックに、感動の演奏が。
第1部はコルトナの朝・はやぶさ 遥かなる帰還など彼のオリジナル曲7曲
第2部はアラベスク・別れの曲・革命のエチュード・ラ カンパネラ・リゴレット パラフレーズなど7曲
月の光が演奏される頃、外も暗闇になり月の光が現れました。
彼の息使いが聞こえる小ホールでの贅沢で、心地良い時を過ごしました。
やはり、彼の演奏は素晴らしかったです。
アンコールにも沢山応えてくれて、パワーあるな~若いな~って思いました。
彼の自作曲は、優しさを感じました。前にテレビで見たベルリンを訪れた時のドキュメンタリーの映像を思い出しながら、聞いていました。
来年も開催しそうですので、是非体験してみて下さい。
途中で鹿の群れにも会いました。夜は寒いくらいでしたので、久しぶりにぐっすり眠れました。
今回はリサイタル以外は駆け足の旅でしたが、ゆっくりと又訪れてみたいです。
登録:
投稿 (Atom)