2012年10月5日金曜日

南イタリア カンパニア州 アルテカード

南イタリアの旅はアルベロベッロを残すのみになりましたが、書き疲れたので今日はちょっと休憩です。

旅で集めた資料を整理して、アルテカードartecardを買った時に渡された小冊子を見てみました。
日本のガイドブックでアルテカードを知りました。
以前は使い方により色んな種類があったようで、古いガイドブックと新しいものではかなり違っていました。ネットでも調べてみましたが、いまいち詳しいことは判りにくかったです。

この冊子の
最初の方に1ページだけ簡単なカードの使い方が日本語でも記されていますが、あとは細かい字でイタリア語と英語で書かれていて、123ページもあるので、良く見ないでスーツケースの中に仕舞っていました。

今日しっかり見ると、なんとよく出来たガイドブックであり、観光名所の行き方も、バスなら何番でどこからどこまで行くか、乗り換えも詳しく書いてありました。

そしてナポリ編で書いたアルテカードを見せると半額になるはずの入館料がならなかった謎も解けました。

美術館、教会など各場所により、割引率は一律ではなく、それぞれ異なっていました。10%という処から33%なんて処、金額でいくら引きなどさまざまです。

開館時間や年齢によって割引になる事なども詳しく書かれています。

もっとも私が行ったカゼルタの絹の博物館の開館時間などは、記されていたのとは違いましたが
、まあこんなことはイタリアでは良くあることですので、仕方ないでしょう。

3日間利用できるものが27ユーロ
7日間のが30ユーロです。

カードの片面が交通機関に使うスイカのようになっていて、もう一方が入館用のカードに なっています。紙で出来ています。

利用する時に自分の名前と利用開始日を記入します。交通機関を最初に利用する際に、駅やバスで刻印をします。列車・地下鉄・バス・ケーブルカー・アマルフィーで走っている赤い観光バスも割引になります。

買った時にこのカードの利用開始の有効年月日を記入したものを一緒に渡されますので、最初に刻印するまでは、この紙をなくさないよう注意して下さいとしつこく言われました。

最初の2カ所は入館料が無料になりますから、なるべく高い所から周れば2カ所でもう20ユーロ分になります。
沢山の観光名所があり、入館料を取られる所も多いですし、人込みで財布を出して切符を買うのも
治安上出来れば避けたいので、このカードはお薦めです。

アマルフィー近郊も使えますし、ポンペイに行く時も使えます。船は使えません。
私達も3日間で27ユーロ以上の利用はしました。


乗り物だけに使うカードもアルテカードとは別にあるようです。

バスは乗った距離ではなく下記のようなシステムになっています。
これも行く前にしっかり調べてあったのに、資料がありすぎで見逃していました。
今更ながらなるほどねです。

45分間有効チケット 2,4ユーロ
90分有効チケット  3,6ユーロ
24時間有効チケット 7,2ユーロ
3日間有効チケット  18ユーロなどがあり、時間内なら何度も乗車出来ます。

これから行く方の参考になればいいですが。。。アルテカードの冊子は面倒でもしっかり読んで上手に使って下さいね。


ネットでアルテカード検索してみましたが、価格が今の価格ではありませんでした。
今回行った所の多くで料金は値上がりしていましたので、その辺もご注意ください。

レストランやお店でカードが使えない店も結構ありました。現金は持たなくてもカードでおろせる準備はして行かれた方がいいでしょう。





2012年10月4日木曜日

南イタリア マテーラ編

7時45分にお迎えが来ます。ホテルの朝食は7時半から。前日に交渉すると7時10分に朝食を用意してくれました。
海が見えるテラスでの朝食。もっとゆっくり優雅な気分でお食事したかったですが。。。

車でサレルノまで行きました。海沿いの山道を通ります。
こちらに来てからずっと良いお天気が続いています。地中海は海水の温度が高いのでしょうか
、毎朝海の上にもやがかかっています。

サレルノは大きな街で港も大きく、コンテナが沢山積み上げられていました。

9時35分発のTARANTO行きの列車に乗ります。4番ホームからの出発でしたが、このホームにはエレベーターがなく、重いスーツケースを階段で上がるのは大変でした。

トイレは1番ホームにあります。我慢すれば使える程度の清潔度。イタリアは駅のトイレは綺麗とは言い難いです。むしろ列車の中の方が綺麗でした。

ホームの電光表示に列車番号と最終駅名と発車時間とホームが表示されます。間に意味の分からない10という数字が表示されました。

ホームが変更になったのかと思いましたが、10番までのホームはなく、暫くして10分遅れになっていることが判りました。

ホームでタバコが吸えるので灰皿のそばで吸っていたら、たばこをおねだりされました。
仕方ないので1本あげました。暫くして彼は他のホームに行きました。
???なんでいたの???

指定席でした。それほど混んではいませんでしたが、私の席に若者が座っていました。違うんじゃないっていうと、自分の切符を確認してました。通路挟んで反対側だったようです。

4人掛けの席には折り畳み式のテーブルがあり、今までの旅記録整理にはとても便利でした。
12時2分に降車駅フェッランデーナ駅に到着予定でしたが、20分遅れぐらいに到着。

駅でお迎えのドライバーが判るかしらと心配でしたが、小さな駅ですぐに判りました。

乗用車、ランチャでお迎えです。ランチャに乗るのは初めてだったので、嬉しかったです。

この駅からマテーラは近いのかと思っていたら、かなりとばしても1時間くらいかかりました。

先史時代から歴史のある町で、洞窟住宅群サッシも旧石器時代から造られ、今でも住居として使われています。1993年に世界遺産になりました。
第二次大戦後~しばらくは貧民街となり、乳児の死亡率50%という時代もあったそうです。
次第に荒れ果てて人が住まなくなってきた1980年代後半にマテーラ市が現在の状態に
整備し始めたのです。

今夜はこの洞窟のホテル LOCANDA DI SAN MARTINOに泊まります。
 

ホテルの部屋
ホテルの部屋の入口
ホテルの部屋の前の道 。ちなみにここは3階です。
ホテルの中庭を上から見た映像
 


建物はみな同じような色・形です。車が走れる道も少なくほとんどが階段の連続です。
建物の2階部分が道になり、更に3階、4階部分も道が建物のと一体化していて、地図を見ても
自分の居場所を確認するのは難しいです。おまけに先がそびえたつ建物で見えないので
、行ってみないと行き止りなのかも判りません。
ホテルで地図はもらいました。取りあえず目標になりそうなカテドラルに向かってみました。

近くにレストランを見つけたので、まずは腹ごしらえを
ここでこの旅初めての日本のツアーの方々に遭遇しました。英語が通じなかったですが、美味しいお店でした。

DUOMO広場まで、迷路ゲームのように、こっちかな。。×。。。やり直しと行ったり来たり、階段を上ったり下りたりしながら、なんとか辿り着きました。
社会見学?の子供たちがいました。
ここは街でもかなり高所の所です。ここまで歩いてこの街がかなり手ごわいことに気が付きました。次はインフォメーションを目指しましたが、これが地図通りにはありません。地図を見ると街の囲むような道がありました。とりあえずそこまで出てみました。暫く行くとインフォメーションがありました。

Casa Grotta di vico Solitario グロッタさんの家 当時の生活様式を見れる家の場所を聞きました。地図と地球の歩き方では発見不可能な場所でした。
1700年初期に建てられたそうです。

サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会の右わきに沿った道を入った所にありました。

この時代は家畜と人間は同じ家の中で生活していたので、ベッドの下には鶏が飼われていてベッドの足は高くしてあったそうです。この反対側にはなんと馬が飼われています。
たい肥や藁置き場も家の中にあり、これでは衛生状態も悪いわけです。
日本にも昔は家畜小屋が家につながる場所にある曲り家がりましたが、こんなに共存ではなかったのでは。。。


ここでは日本語のテープがあったようですが、ドイツ人の団体さんと遭遇した為、聞くことが出来ませんでしたが、日本語の説明書をくれました。
この家も1956年まで生活されていたそうです。

サッシ移動計画が国管理で行われ、当時3万人いた住民の半数以上が、法律に従って1953年~1968年の間に新街地に移住しました。住民は新居を提供され、旧住居の所有権も与えられるなどして、移動計画は実現したそうです。

このそばにはMADONNA DE IDRIS E SAN GIOVANNI IN MONTERRONE
という二つの教会が一つになった岩山のような教会があります。ここはアメリカ映画、パッションのロケ地になった所です。メルギブソン作でキリストの「受難」をテーマにした映画です。
写真撮ったはずでしたが、ありません。マテーラ旧市街の模型です。写真の上でクリックすると拡大なります。
対岸にも洞窟が見えます。
間は渓谷になっています。

階段状のサッシの雨水や湧水を地下水路で集積し貯水槽にためるという、土のない街での驚くべき施設がありました。La  Vaccalta Delle Acque
入口を入った空間はマテーラ出身の聖ヨハネの生家で死後旧ブルガトーリオ教会の神具室として利用されたそうです。教会奥の階段を下った先に巨大な地下貯水漕があります。
1846年に当時の司教の願いで、カヴェオーソ地区の住民の公共の給水所として建造されたそうです。
写真では判りにくいですね。

Museo Nazionale d’Arte  美術館に出ました。
ここに出たら普通の街   どうやら新市街に出たようです。サッシの街が見えません。
何か所かビューポイントを見たので、ホテルに戻ることに

国立ドメニコ リドラ博物館の道を進むと、Vittorio広場に出ました。普通にブティクや食料品店・銀行などあります。
広場から見たサッシ

ちょっと前までわずかな土産物屋とレストランがあるだけの何もない街、住んでる人は買い物大変ねって話したばかりなのに、狐に騙されたよう。

広場にあるインフォメーションでホテルのあるサッシへの行き方を尋ねると、すぐ左手にある新聞売りのスタンドの脇の階段を下りると、ホテルの前の道、Via Fiollentino に行けるとのこと

階段を下りたらタイムスリップしたようにサッシの中に出て、しかもホテルもすぐ近くにありました。


ホテルで聞いたお薦めのレストラン  NADIに行きました。

住所 Via Fiorentini ,1/3
tel  0835 33 28 92
 


                 前菜の盛り合わせ
きのこのリゾット
ステーキのルッコラ添え、白く見えるのはチーズです
パンも色々です。

部屋から見たドウモウの夜景
サッシの中はバスもタクシーもありません。自力で歩くしかないのです。体力に自信がある内に行って下さい。
難度高いですが面白い街でした。明日はいよいよ最後の街、アルベロベッロに行きます。



2012年10月2日火曜日

南イタリア アマルフィー編

5日目 朝9時にホテルに送迎車が迎えに来て、アマルフィーに向かいます。

イタリアでは滞在税というのがあり、ホテルをチェックアウトする時に請求されます。
しかし、ナポリのホテルで8ユーロ請求されただけで、他のホテルでは請求ありませんでした。
金額はホテルによって違うそうですが。

空港に迎えに来た気の良いドライバーさんはお喋りに夢中で、わき見運転が怖かったので、
今日もそうかしらと心配でしたが、別の人でイタリア語しか話さないようで、無口。

ガソリンスタンドの料金を見ると19,5/L結構高いです。

途中有料道路に入りましたが、区間判りませんが、2,1ユーロでした。

アマルフィーに近づくとヘアピンカーブの細い道が続きます。所々車がすれ違えないので
待機しなければならない所もあり、高所恐怖症の人にはつらい場所の連続かも。。。

2時間弱で着いたと思いますが、記憶怪しいです。
まだ、ホテルにチェックイン出来ない時間だったのですが、空いている部屋に入れてくれました。
残念ながら海側の部屋ではありませんでした。

当然海側と思っていたので、予約時に確認しませんでした。部屋を代えてもらえないか聞きましたが、ダメでした。

まずはアマルフィーを散策。海沿いを歩いて行くと、狭い浜辺、しかもそこはヨットハーバーになっているそんな所で泳いだり、日光浴している人がいっぱい。
水は綺麗だったけど。。。描いていたアマルフィーのイメージとは違います
Piazza Flavic Gioia という広場に出ると、凄い人です。アマルフィーは観光地でした。
ナポリではあまり見かけなかった東洋人も沢山いましたが、イタリア人観光客も多そうです。
まずはDuomo見学この広場前も人・人・人
周りはお土産物屋やレストラン、洋服の店などぎっしりあります。
ここで初めて日本語のパンフレットをもらいました。日本人も沢山来ているのでしょうね。
さすがに立派な大聖堂です。ここに入る階段も3階分ぐらいありました。上からの見晴らしは良いですが

更に「天国の回廊」という処を探しながら、メインストリートのVia Lorenzo d'Amalfiの道を登って行きました。

見上げた崖の中腹にあるようだけれど、茶色の名所が記された看板が見当たらない。
戻りながら尋ねると大聖堂の上がった左側から行けたのだったのです。

回廊と美術館に教会関係の展示品がありました。
地下にも聖堂がありました。広場の近くにあるジェラードを食べたりしながら、綿で出来たリゾートウェアを見て歩きました。海岸近くにも安いお店は沢山あり賑わっていましたが、私が着たら寝間着みたい。メインストリートを又上り幾つかのお店をのぞき、お気に入りを見つけました。

Ravelloにバスで行くことにしました。SITA社のバスに乗ります。青い色のバスです。
アマルフィーにも赤い2階建てオープンバスの観光バスが走っていました。ナポリにもありました。短時間で色々見たい方には良いそうです。
ミズ ナポリが言っていました。日本語のガイド放送があります。コースも色々ありました。

www.city-sightseeing.it
詳しくは上記をご覧ください

バス停は見つかりました。時刻表もあります。時刻表はネットで日本でも調べること出来ます。SITA イタリアで検索してください。
切符は近くのBARで買います。
途中でツーリングしていた親子?坂がきつくてギブアップしたのか、バス停でない所でバスを停めて自転車を持って乗り込んできた。降車口から乗り、又途中で降車口から降りて行きました。
料金は払ってないけど、ワンマンカーの運転手さんも何も言わない。

途中の道はヘアピンカーブの山道なので、ハイシーズンは渋滞しそう。今の時期はそれほどでもなく30分かからずに到着 

ラベッロの町はずれのバス停で下車。ヴィッラ チンブローネVilla Cimbroneという貴族の館を目指します。
車も入れないような細い道と階段が続きます。しばらく行くと聖堂のある広い広場に出ました。
この広場にはハリウッドの俳優や有名人が沢山訪れている、カメオやサンゴの素敵な宝飾店がありました。

ナポリで呼び込みしていたカメオ店とは大違いに物が良く、値段も手ごろな物があります。

途中にもこの辺りに工房がある、マジョルカ焼きの陶器のお店が沢山ありました。

聖堂から更に倍以上階段の道を歩きました。海岸を見下ろす素晴らしい場所にその館はあり、庭園が公園のように広かったです。入館料6ユーロ
 

お庭の先は地中海でした。贅沢な景色です。

帰り道お腹が空きました。景色が良さそうなレストランがあったので、入りました。
この辺りのレストランではナフキンの下にレースが敷かれていました。
床は絵タイルです。ホテルの部屋も絵タイルでした。
写真は前菜です。オマール海老のパスタを食べました。食べるのに夢中になるので、パスタの写真は撮り忘れました。飲み物も入れて3品で49,5ユーロでした。

出る時に見たらミシュラン☆付のレストランでした。
美味しかった!

又、バスでアマルフィーに戻ります。先程降りたバス停まで戻りましたが、近くにお店もなく切符をどこで買うか迷っていたら、ベンチにいたおじさんが手伝ってくれました。
そのおじさん、来た時バスに乗っていた人で、料金払った気配がなかった人。ずっとここにいたのか?
ちょっと怪しげだったので、寄って来た時はドキッとしましたが、優しいおじさんでした。疑ってごめんなさい!

今度はポジターノに行きます。ラベッラに行った時のバス停にはポジターノ行きの表示がありません。バスが何台も停まっている所に行ってみました。ポジターノ行きかそこにいた人に聞いてみましたが、多分そうと自信無げな返事。


それからが大変。人がどんどん集まって来て、バスが来る度に大移動して運転手に尋ねる。
違うと言われると又移動。ついにはバス一台分以上の人になりました。
やっとポジターノ行きのバスが来ました。
この運転手さんは切符に厳しく降車ドアは開けず、前から乗るように指示しました。並ぶという言葉がない?イタリア人は八方からバスの入口に群がり、体の大きい人が多いので断然不利です。

何とか乗り込み席を確保しました。外国人の男性がwifeがまだ乗ってないと叫んでいます。
伝言ゲームのように、バスの外まで次々にワイフ、ワイフと伝えて行きました。
女性が乗ってくると、今度はあなたがワイフ?と次々に聞いて爆笑

立っている人も大勢のバスがやっと発車です。またヘアピンカーブの道。もう夕方になっていたので、帰りの車で暫く渋滞でした。

イタリアのバスはワンマンカーで降りる時、日本同様ボタンを押して知らせます。ボタンの数は少ないので、見つけにくいです。

途中バス停表示のない所でも、停めて降りた人沢山いました。乗る時もアバウトなら、降りる時も自由???ポジターノの街に近づいてやっとバス停表示があるバス停が出てきました。

スポンダというポジターノの町はずれにあるバス停で降ります。

ここから1本道を船着き場を目指して下って行くと、ポジターノの観光コースになります。

アマルフィーと違い高級なお店やお洒落な店が連なり、下を見下ろすとホテルのプライベートビーチやテラスが見えます。

映画 アマルフィーに出てきた景色はここの景色でした。海辺に近づくとレモンチェッロなど名産品を扱うお店が増えてきました。

帰りは船でアマルフィーに戻る予定が、目の前で最終の船が行ってしまいました。

また、この山の上にあるバス停まで歩く元気はありませんでした。見ると水上タクシーがありました。
海からのアマルフィー海岸も見たかったので、交渉してみました。もう日も暮れかかっていたので、
即決とはいかなかったがOK.

ところがこれがゴムボートにモーターがついた小さなボート

初めはイケメン君にエスコートされウキウキだったのですが、乗り込む時からゴムボートの縁に足をかけるのさえ大変。
座ったと思ったら、凄いスピードで走りだしました。ちょっと待って。ライフジャケットなしで、掴まるところさえない。おまけにジャンプ!

振り落とされそう。
「もっとゆっくり走って~」と叫んでも聞いてくれないのです。ジェットコースター並に私たちは叫び続け、海側からの写真も望めず、ただただジャンプ。行きはバスで40分かかった所を、ボートで20分
あっという間にアマルフィー到着。一人50ユーロの大冒険をすることになるとは。。。。

降りてからかろうじて撮ったボートの写真です

夕食は大聖堂左脇の階段を上がった所のトラットリアで夕食を食べました。
パンもかりかりで美味しいです。またしてもお料理写真なし。母と娘さんがやっているマンマの味のお店。上品な女性が日本語のメニューを持ってきてくれました。日本人の友達がやってくれたとか。


近くでギターを弾く老人がいて、それに合わせてマンマが素晴らしい声で唄っていました。夜でも賑わっているドゥモウ広場です。治安が良く安心して街歩き出来ます。
夕日に輝くアマルフィーの大聖堂