2015年6月14日日曜日

父の旅行記 地中海クルーズ その1

1999年6月30日から15日間 父と二人でスペイン バルセロナからトルコ イスタンブールまでクルーズ旅行をしました。

父の趣味は沢山ありましたが、その中でも油絵を長く描いていました。100号の大作も多く 宮城県で開催されている河北展でもなんどか受賞するほどだったのですが、仕事も忙しく海外にはなかなか出かけられず、ヨーロッパにも行ったことはありませんでした。

そんな父をヨーロッパに行かせてあげたい 絵になる景色を沢山見て欲しい 美術館にも連れて行きたいと思っていましたが、すでにその頃父は肺気腫を患っていたのではと、今になると思います。

スポーツマンでもあった父が歩くことを極端に嫌がっていました。そんな父が身体に負担が少なくヨーロッパ旅行をする手だてがないかと考えていた時に、クルーズ旅行の広告が目に留まりました。

私もその時はクルーズは未経験でしたが、これなら行けるかもしれないと思い決めました。

帰国後、ある会の意向で紀行文を依頼され、父が書いたものです。

父との旅を思い浮かべながらアップしたいと思います。



6月30日、英国航空でロンドンに向かう。長途の旅行で身体に自信が持てなかったが、此の機会を逸したらチャンスはあるまいと、娘のサポートに一切をまかせて決心した次第です。

幸いに天候に恵まれて快適なフライトであったが、枕が変わると眠れない癖があって、酒をン飲んで心地よさそうな鼾をかいて寝ている人々がうらやましい。
果てしなく続くシベリアの原野の景色は、全く変わりなく2時間も3時間も同じ様に続く。

窓をしめて手元のテレビをつけてみる。日本語訳のついたメロドラマにもすぐ厭きて虫眼鏡を出して旅行先のコートダジュール、バルセロナあたりの案内記を読むが字が細かい上に暗いので難儀である。
膝の後あたりが苦しくなり。機内を歩いてみる。娘の配慮でビジネスクラスの席をとってもらったので私は楽な座席だったわけだが、十二時間の座位の持続はさすがに堪えた。

英国時間で午後二時にロンドン・ヒースロー空港に到着、次のバルセロナへの出発時間が四時間程遅れたために休憩時間が充分にとれた。
空港の待合室は免税店に囲まれ、どの店も世界のブランド商品をあつかっているので仲なか賑やかである。

娘が大きな虫眼鏡を買いに出かけたあと、隣の小母さんに英語で話をしたら日本語で答えが返ってきたのには苦笑。

英語の世界に緊張しつつ、バルセロナ行に搭乗、夕暮れのフランス上空を経てスペインに入る。
ピレネー山脈の峯が夕暮れの雲海の上に黒く突き出して見え、次に光の点が見え始めた。

やがてその光の点はカラフルな線と変わり、図形が出来た途端、綺麗な画像が見えてきた。
シャガールが連想出来る景色に胸を踊らせている内に機は着地。

午後十時の飛行場は静かであったが、日本旅行社の出張員の出迎えがなかなか判らず、少しばかり時間を費やして送ったトランクが無事に到着しているのを確認し、迎えの車でホテルに向かう。

バルセロナ・オリンピックの為に作られたホテルは新市街地に位置していた。石で舗装された道路の両側の歩道に、昔風のスタイルの街路灯が、フランス映画の風景を思い出させる薄暗い深夜の情景で迎えてくれた。

16時間のフライトは疲れた。明日の観光の予定もあるので直ぐにベットに入ることにした。

        *      *              *     *
午前9時、日本旅行社のガイドさんが市内観光のために迎えにきた。日曜日で観光客が多く、何処も人、また人である。
オリンピック競技場、14~15世紀のゴシック建築のカテドラル。ガウディの発想になる百年前からの工事が今もなお継続し、これから先百年で完成するという巨大なキリスト教堂のサクラダファミリアを見学。
設計はすべて複雑な双曲デザインを組み合わせたもの、後の壁面に刻まれた動植物のモチーフも非常に独創的に感じた。

現在工事を担当している建築家達は、ガウディのオリジナル設計を生かしながら、更に自分達の発想を加えて作業をすすめていると云われる。

車中から19世紀建築のレイアル広場を見る。ここの街灯は若き日のガウディによってデザインされたもの。
アーケードに並ぶ店は昔ながらのもので、ここに来ると時がとまってしまった感じがする。
中でもレル・ポラリ・デル・レイというハーブ店は、ネオゴシック風のショーウィンドウを持つお店で、古き良き時代の面影を伝えている。

次にユネスコの世界遺産に認定されているガウディ設計になるクエル公園を観光、15万ヘクタールもある広さを炎天下に歩き続けるとダウン寸前、ガイドの熱心さにやめてとも云えず、迎えの車を見てほっとした。

次はピカソ美術館を見学。石造のヒヤリとした日影に救われた気持ちで、1895年から1904年にかけての作品を見る事が出来た。青の時代の作品や、ディアギレフ・ロシアバレエ団との共同作品や、ベラスケスの作品に着想を得たラスメニーナスシリーズも見逃せない作品であった。ガイドさんは興味深く観ている私達を見て、食事後、乗船前の暫時をミロの美術館に案内してくれた。

ミロの美術館を最後に、港に停泊しているグランド・プリンセス号に向かう。
これから2週間、地中海巡りをするのがこの巨大船で、ガイドと別れ、厳重な検問の後、乗船口で写真入りのパスポートを作られる。

排水量10万9000トンで1998年に建造され、航海時の速力は24ノット、乗客は2594名(日本人は私達2名のみだった)、乗組員1150人。
全長200m 、全巾36mで18階まであり、乗客の出入り出来るのは5階以上。
8階から11階までは客室があり、それ以上の各階にはスカイデッキ、カラオケ・ディスコデッキ、スポーツデッキ、サンデッキ、プールが3つ、 5,6,7階にはプロムナードデッキ、フェスタデッキ、プラザデッキ、カテデッキとある。

医師が三人、看護師5人、他に介護士と呼ばれる人が10人も乗船している。
車椅子の客も多いのはクルージングのせいだろうか。

廊下が長くて、足の弱い私には毎日がきつい通路であった。この長い通路の二個所にエレベータールームがあるのだが。

部屋は素敵なスイートルームでデッキもあったが、大きなダブルベッドが1台おいてあり、これで二週間娘と起居するのには参った。

毎朝、船内新聞が部屋に投函され、その日の観光の事や船内の行事が事細かに案内されている。

文化センターの中ホール程度の劇場が二つ、他にダンスホール、ディスコルーム、カジノ、喫茶ルーム等に、毎晩時間差をおいての催しものを見ていると夜更かしとなる。

船内にはフリータックスの店が4店、航行中だけオープンしている。24時間食事が出来るバイキングスタイルのレストランの他に、毎日席が決められ、お相手も決められているレストランでの定刻の食事は、服装もその日によって決められ、旅行中フォーマル3回、セミフォーマル2回、あとはフリーという具合で、フォーマルの日はアメリカンスタイルのパーティーでお酒を飲みつつお喋りを楽しみ、やがて食堂での食事となる。賑やかな楽しい夕べであった。

私達が同席した御夫妻はアメリカの医師夫妻であり、私達との食事のマナーの違いは、時間をかけ、お喋りをしながら沢山食べるといったところであった。

食事のメニューは地中海スタイル、フランス風とあったが、旅行社が気をきかして日本語のメニューを渡してくれていたので助かったが、ボリュームの多いのには驚いた。

前菜、スープ、サラダ、パスタ、主菜、デザートとなるが、殆ど最後のデザートのケーキ、果物、アイスクリーム等は、三分の一程しか食べられなかった。

フォーマルの服装の日には、各国の独特の礼服を着用してきた。スコットランドのスカート紳士や、韓国のチマチョゴリなどは眼をひいた。
昼は真夏の地中海沿岸の観光でラフスタイルの男女が、礼服に着替えると全く別の世界にきた様に思えた。

船内で賑やかな場所は、昼間はプールサイド、夜はキャバレー、クラシック演奏の劇場、ダンスホールであり、特に三日あったカラオケ大会は大盛況であった。
ダンスは同伴者と最後まで踊り、殆どがリズムダンスで、出発前に予想したものとは大分違った雰囲気であった。

 
次に続く



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