当時ブタペストからチェコスロバキア経由で東ドイツまでの運賃は8ドルです。
駅員が間違えたのではないかと思いました。
ブタペスト18時50分発夜行列車に乗り、東ドイツのドレスデンに向かいました。飲み物を買い忘れ、車内で買えるだろう(西側圏では、車内に買えるところがあるので)と思っていたら、なかったのです。
飲めないとなるとよけいに飲みたくなります。
深夜にある駅に列車が停まりました。時間から考えるとチェコスロバキアのどこかの駅のよう。。
なんとなく長く停車していそう。アナウンスもないし、日本のように電光掲示もありません。発車を知らせるベルもありません。あくまでも勝手な推測なのですが、構内に灯りが見え,なにやら人がいます。BARみたい。これも推測というか希望的思い込み。で、飛び出して一目散にその場所に走りました。何分停車するかも判らないのでドキドキの大冒険です。
やはり、BARで大勢の男の人がお酒を飲んでいました。とりあえず言葉も通じるか判らないので
これなら判るだろうと「コカコーラが欲しい」と英語で言ってみました。通じました。
ところがドルで払おうとしたら、チェコのお金でないとダメとか。ガ~ン。チェコは列車で通過するだけだったので持っていません。ここで手に握りしめたコーラを返さなければならないのか、がっくりしているとそばにいた男性が払ってくれました。ドルを渡そうとしましたが受け取ってくれませんでした。
もう、嬉しくて何度もお辞儀をしてありったけの感謝のゼスチャーをして、ダッシュで列車に戻りました。
何十年たっても忘れられない思い出です。もちろんそれからは飲み物は確保して乗車しています。
早朝東ドイツに列車が入りました。停車した列車に犬を連れた駅員のような人が入ってきて、棚の荷物を下ろすように指示しました。テリア系のかわいいワンチャン。思わず触ろうとしたら怒られました。入国審査の係官でパスポートとビザをチェックし、犬は麻薬チェック犬で荷物をクンクンお仕事しました。
東ドイツに入り緑の多い見た目にはのどかな景色が続きました。共産圏に行くのは初めて、どう違うのか知識はあっても実感がありません。
日本でビザを取る時に、ホテルも大使館で決められました。先方が提示した中から選べる所もありました。ドレスデンは選べなかったように思います。昔の事なので記憶違いあるかもですが。。。
ドレスデン着9時1分
駅から近い場所にコンクリートの箱型のホテルがありました。ドレスデンの第一印象は色が無いところだな~でした。車もほとんど走っていなく、シーンとした感じです。
ホテルにチェックインする時にパスポートを預けなければなりませんでした。少しずつ西側との違いを感じ始めました。
列車でマイセンに行きました。ドレスデン発10時39分、マイセン着12時15分料金1マルク。レートは1マルク81円です。
マイセンは小さな街ですが山があり川があり、人が生活している気配を感じました。工場はとても広大で、作業見学と陶磁美術館を見ました。
入口でなんと日本語のガイドがあると聞きびっくり。作業工程別に小さな部屋があり、各工程ごとに
デモンストレーションをしていて、部屋に入ると日本語のテープ案内が流れます。
客は私達しかいなかったので、ゆっくり見れました。美術館も素晴らしかったです。
たまたま、マイセンの養成学校の生徒のデッサン展をしていて、レベルの高さに関心しました。
緑の多い景色の美しいこの街には、どこでスケッチしても絵になりそうな所ばかり。羨ましかったです。販売もしていましたが、製品は少なく、ロンドンやウイーンの方が遥かに種類はあったように
思いました。東ドイツに観光に来る人が少ない時代でした。
たまに見かける観光客もソ連の方が多かったです。
ドレスデンに戻り、ホテルに泊まり、翌日はドレスデン市内を見学。ホテルから近いので徒歩で
フラウエン教会に行きました。当時この教会は広島の原爆ドーム同様の姿でした。
まるで第二次大戦から時間が止まっているようです。
街中も建物も閑散としているので、かなり遠くまで見渡せました。観光するにはとても便利。遠くからツヴィンガー宮殿も見えました。こちらも建物が黒ずんていて管理状態があまり良くないようでした。
宮殿内の陶磁器は予想以上に素晴らしく日本や中国から東インド会社を経て輸入した大きな壺など、過去の権力の象徴、磁器一つが兵隊一こ連隊に値したということでしたから、想像を絶します。
ゼンパー美術館内でフィルムを巻き忘れてもたもたしていたら、係りのおばさんに大笑いされました。
ドレスデン城北側城壁にマイセンで作られたタイル2500枚に描かれた「君主の行列」は長さ100mに及ぶ大作。圧巻です。
東西ドイツ統合後に再びドレスデンに訪れましたが、「ドイツの古都」観光地になり、近代的なビルが立ち並びツヴィンガー宮殿もビルに隠れていて、あまりにも変わった姿に驚きました。
初めに行った時はあまりにひっそりとして印象良くなかったのですが、大都会にになってしまってからは、妙にあの昔の景色が恋しく思います。
ドレスデン15時56分発東ベルリン着18時8分着列車で行きました。17,4マルクでした。ベルリンのホテルは当時「チェックポイント チャーリー」と呼ばれる東ベルリンの国際列車駅Friedrichの近くでした。5星クラスの立派なホテル。Metropol。ここでもパスポートは没収。ドレスデンより街ははるかに大きいのですが、暗い雰囲気はさらに増していました。
国内線の駅からホテルまでかなりの距離をタクシーに乗りましたが、料金は安く、なにより滑走路のように幅広い道にほとんど車が走っていません。いる車もやっと動いているというスピードです。
遠くを走っている車が近づくのに随分時間がかかります。信号もあまりなかったです。車が少ないし、歩いている人も少ないので信号は必要ないようでした。
ウンターデン・リンデン通り、戦前は目貫通りだったそうですが、店もあまりなく、ソ連大使館の門番や鹿島建設のヘルメットを被った方に尋ねて、やっとたどり着いたマイセンショップも改装中で閉まっていました。
食事をする所もなくホテル内のレストランで食事しました。驚いたことにこのレストランには日本語の立派なメニューがありました。ここでは、背広姿の日本人の男性に何人か会いました。お話したら、建設関係の仕事で長期出張でいる方で、「わざわざこんな所になんで来たの?」と聞かれました。ホテルの中に免税ショップがありましたが、そこで売られていたものは西側の洗剤や運動靴など日用品です。ドルでしか買い物は出来ないのですが、誰が買うのかと思いました。
考えてみれば壁のそばだったので、現地の人は逃亡者と思われるから近づかないだろうし、そんな所に店もないはずですね。
ホテルで両替をしたら、1万円だけで十分だといわれました。これから、ベルリンオペラ座でオペラも見たいし、ポツダムにも泊まる予定だったので、心配でしたが大丈夫だというので従いました。
交通費や街での飲食以外は観光客が買い物するような店もなく、観光客が利用するホテルなどはドル払いでした。オペラの切符を取って貰いました。3000円ちょっとだったと思います。
舞台に近い真ん中のいい席でした。オペラ座で東ドイツに来て初めて沢山の人に会いました。
ホテルの中にアンティークの小さな店がありました。品数は少ないですが品質の良いものがあり、
電気スタンドの笠の部分も薄い磁器で透かし柄が入った物がありました。欲しかったのですがまだまだ道中は長く持ち歩けません。送れないか尋ねると、着かない恐れがあるのでやめた方が良いと
アドバイスしてくれました。この店の女性店員はとても上品な優しい方でした。後に郵便を出す時も助けてくれました。
ベルリンの壁・ブランデンブルグ門・など散策しました。
塀のそばには機関銃を持った兵士がいて、一般人はほとんどいません。
ベルガモン博物館に行きました。まるでギリシャにいるのかと錯覚するほどの展示品(建造物の一部)。ここでギリシャを体験するとは思いませんでした。大英博物館よりすごいかも。。。
列車でポツダムに行きました。ベルリン発12時55分。ポツダム着14時10分。0,7マルク
ホテルはポツダム宣言がなされたツェツィーリエンホーフ宮殿がホテルになっていてここに泊まることが出来ました。駅からタクシーがなく、トラムを乗り継いで行きました。敷地内は森のようで門を入ってから何十分歩いたかしら。敷地内には軍事博物館もありました。
Schloss Cecilienhof 私たちの他はロシア人の団体が泊まっているだけです。夏なのに寒くて暖房を入れてほしいと頼みましたが、案の定却下されました。176室もあり、その2階がホテルになっていました。
サンスーシー公園とサンスーシー宮殿を見学に行きました。好きな女優ロミーシュナイダーが主演した映画で「サンスーシーの女」という映画を見てから、サンスーシーに行ってみたいと思っていました。
この公園も何ヘクタールあるのかこの公園と宮殿を見るだけで一日かかりました。森のような公園にいくつかの建物が点在していますが、広すぎて見つけるのも大変でした。東洋を意識した東屋・中国茶亭など東洋の磁器が飾られていました。
宮殿はこの公園の奥にありました。途中にお茶飲める建物があり休憩しました。ここは若者のデートコースらしく、軍服を着た青年と女性のカップルを見かけました。喫茶店は外国人がいない風で、特に東洋人は珍しいらしくじろじろ観察されました。
ポツダムの街はこの二つの宮殿で出来ているといっても過言でないほどの広さでした。
タクシーもお茶も現地の人が利用する所は物価が安く、何十円・何百円の世界。1万円で十分が理解できました。
約1週間の東ドイツの旅を終え、東ベルリン駅からフランクフルトに向かいます。
チェックポイント・チャーリーは聞きしに勝る厳重体制一人一人が電話ボックスのような狭い所に入り出国の審査を受けます。
夜行列車なので指定席をとったのですが、ホームに出ると機関銃を持つ兵士が何人もいて、目指す車両に行かせてくれません。意味不明のまま仕方なく乗れる処に乗り込みました。
発車してすぐに隣駅に停まりました。西ベルリンです。
この駅でやっと行動が自由になり、指定の席に移動出来ました。
久々の西側の空気。ホッとして力が抜けました。
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