2012年7月27日金曜日

物作りの難しさ

本当に暑い日が続いていますね。毎日、光化学スモッグ警報が出ています。
暑さは体が消耗しますので、充分気をつけて下さいね。クーラーは相変わらず30度設定です。それでも冷えると足が痛む感じです。暑さと痛みで頭が回転しないような気がしますが、頑張って文章書いてみます。

昨日BSプレミアムで糸井重里さんがアラン諸島にアラン編みのルーツを知る旅に行った様子を
放映していました。糸井さんは震災以降物資のボランティアをはじめ、気仙沼の女性に編み物で
心を癒し、収入につながる道を模索しているそうです。
無心に針を動かすことが、心の痛みに役立ったそうです。

しかし、訪れたアラン諸島では、今や編み手は6人しかいなくなり、機械編みでの製品化が主流となり、アラン諸島以外で作られたものがおもに売られていました。最盛期には100人以上の編み手がいたそうですが。

こうなってしまった原因は化繊の安くて暖かいものが出来、流行の物を求める若い人が増え、編んだものの卸値が65ユーロになり、編んでも採算が合わなくなってしまい、編むことをやめてしまう人が急激に増えて行ったそうです。

糸井さんの表情がとても素直に出ていて、良い番組でした。再放送があったらお薦めします。

私がやっている磁器に絵付けをする手作業も、世界的にどんどん減って来ています。
先日もヨーロッパの有名な陶磁器会社が倒産したと聞きました。

日本でも洋食器を手描きで生産している会社は数えるほどしかありません。転写紙という
絵がプリントされたシールのようなものを張り付けて焼く作業を、絵付けと呼んでいるほどです。

昭和の40年代ころは岐阜の辺りで、まだ手描き職人さんもいて生産され、輸出もしていました。
私が最初に岐阜に絵付けの材料を求めて訪れた50年代でも、まだ洋食器の注文をアメリカやヨーロッパから受けて、白磁を生産していて活気がありました。
わずかな数で、色んな形の物が欲しい私などは、大量注文大量生産なかでは、困った客でしかありませんが、それでも何社かが受け入れて下さいました。
今ではその頃の会社で残っているのは1社くらいです。

日本でも女性が職業を持つようになり、食生活も変化しています。
日本は料理の種類も多く、味だけでなく目でも楽しみ、器も含めて料理が完成するという文化がある国だったと思います。
これは古くからのすばらしい陶芸の歴史や、繊細な日本人の心が育ててきたものと思います。

今はシンプルな生活が好まれるようになってきて、若い方の家庭には食器の数も少なくなってきているのではないでしょうか?

私はもともと陶器・磁器・漆のものが大好きだったので、独身の頃から少しずつ気に入った物を買い集めてきました。自分が製作するようになるとはおもってもいなかった頃からです。
今でも、大事に使っています。気に入った器は例え簡単なお料理でも、器で演出するのは楽しいことです。

絵付けも採算が合わなくなり、大量生産時代に入り、どんどんなくなって来ていますが、だからこそ
コツコツと手間暇かけて描くことが大切だと、私は思っています。

皆さんも食器棚の最近使っていない食器を、たまには出して使ってみては如何でしょうか?
食器が代ったことが気が付くような、ゆとりある食事の時間って大切ではないかしら。。。
暑くて食欲が落ちるこの時期には、特にね!

糸井さんがあの旅で感じたことを、気仙沼の産業にして行きたいという思いに、どうつなげていくのかも楽しみです。

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