2012年3月29日木曜日

ヨーロッパ陶磁器美術館への旅

もう30年近く前ですが、絵付けの勉強のためにヨーロッパの陶磁器を見に行きたいと思いました。
陶磁器の美術館はどの国もほとんどが陶磁器を作っている工場にあります。当時は情報を得ることが難しく、まずは各国の大使館に問い合わせ、観光局に出向き情報を集めました。
観光局でも判らない所は、日本で販売している代理店に問い合わせて教えて頂きました。

往復の航空券と初日と最終日のホテル付、ヨーロッパ内1回だけ利用できる航空券付、あとは自由に自分で行きたい所に行けるという期間1か月のパックで、従妹と二人で出かけました。成田からアンカレッジ経由パリで乗り換えてLondonへ

イギリス、ロンドンからスタートです。ビクトリアアルバート美術館は工芸品の宝庫、1週間くらい通いたかったです。ロンドンに住んだことがある友人情報で、陶磁器のショップにも行きました。このお店はチェーン店になっていてヨーロッパ中の名窯の商品を扱っていました。

思いきってヘレンドのティーセットを購入。在庫が無いということで後日、日本に送ってくれることになりました。
ホテルは初日しか決まっていないので、ハロッズデパート内観光案内所に行きホテル探しをしました。ハロッズデパートの近くにB&Bが見つかりました。B&Bとはホテルと民宿の間のようなベッドと朝食付きのホテルです。knightbridgeのBeaufat Gardens Hotel 
綺麗で場所も便利な所、出足は上々です。ハロッズの食器売り場も素敵な磁器がいっぱいありました。
ハロッズはお金持ちの顧客がリムジンで乗り付ける入口があり、お付の人を伴ったアラブ系のお金持ちをみかけました。日本ではない光景でした。
ハイドパークのピーターパン像やケンジントン宮殿を見に行きました。

飛行機でオーストリアのウイーン
空港内の案内所でシュテファン大聖堂脇のホテルHotel am Stephansplatsを予約し街へ。
小さなホテルは素敵とは言い難かったですが、なにしろ1か月の旅、贅沢は言えません。2泊しました。地下鉄のすぐ脇で大聖堂の隣なので迷子にならず、場所の便利さ優先です。ホテルを出るとすぐそばにアウガルテンの店がありました。近くにも何軒も陶磁器の店があり、価格も日本に比べたら安いし、マイセン、ヘレンド等‥ヨーロッパの名窯の物が揃っています。
Graben Singer Straβe この通りは夕方になると音楽家を目指す若者が演奏をしています。


ウイーン国立歌劇場そばにあるホーフブルク宮殿内の陶磁器美術館に行きました。
ヨーロッパの美術館は有料または無料で写真が撮れるところが多いです。受付で確認し写真を撮ることに。まだアナログ時代でしたから、重い一眼レフのカメラを持参、フラッシュはほとんどが禁止です。係りの人が親切に薄暗い室内で撮れるか聞きに来てくれました。

オペラ座内部見学ツアーに参加しました。奥行きの深い舞台、様々な仕掛け、初めて見るオペラの裏側は圧倒されました。

空港の案内所に忘れ物をし、取りに行くアクシデントがありました。
ベルヴェデーレ宮殿に行きたいのに、電車の乗り換えがよく判らず何故かふりだしに戻ってしまうを繰り返しました。仕方なくホームにいたお爺さんに英語で尋ねましたが、英語はダメみたい。通じたのは私達が日本人ということだけ。なんだか戦争時代を思い出したようで、物思いにふけってしまい。。。ようやく乗り換えの場所がちょっと離れたところだと判り、あーあの時は本当に疲れた!

翌日はシェーンブルン宮殿に。ホテルもこの近くに移動。ParkHotel Schoenbrunn
ラッキーなことにここのホテルは豪華!ハイシーズンでなかったので安く泊まれたようでした。
シェーンブルン宮殿の広い事!!!宮殿まで辿り着くまでもかなり歩きました。庭園とは言えない広さ。宮殿も豪華でした。
ウイーンは見どころも多く、食事も美味しかったです。もちろんザッハトルテ(チョコレートケーキ)も食べました。ベートーベンの家も何か所もあり出かけました。

次は列車でハンガリーへ。ブタペストの駅の案内所でホテルを予約しようとしたら、長い列。かなりの時間待ちましたが、ヘレンドに行く列車の時間になり、スーツケースを持ったまま、宿も決まらず列車に乗りました。車中で同席になったハンガリーの女性が英語で話しかけて来て、ヘレンドの美術館に行くと話すと、「今日は休みよ」。。。。ええ~代理店の社長さんがすごく親切にいろいろ教えて下さり、しっかり調査済のはずだったのに
相手も気の毒に思ったのか調べて来たなら、今日はやっているのかもと言ってくれたのですが、
休館日でした。大ショック
ヘレンドはヘレンドの工場以外はお店も数軒しかなく、コインロッカーもない。荷物は
駅員さんに頼んで預かってもらい、ブタペストに戻る列車までの数時間、唯一といえそうなバール
(軽食店)で待機することに。3時か4時ころにはヘレンドの工場の人が退社し始め、バールも徐々に
近所の人のたまり場になり、周りで子供たちが遊んでいます。美術館は見れなかったけれど、街の人の生活を垣間見れてのんびりとした時間を過ごせました。当時はまだ東洋人がヘレンドに訪れることも少なかったようで珍しいものを見る視線はちょっと気恥ずかしかったですが。
ブタペストに戻ったのは深夜近く。案内所も閉まっています。ホテルを探すのが大変。タクシーに乗りホテルが沢山あるエリアまで行き、1軒1軒空きがあるか尋ねたのですが無。様子で言葉が通じなかったタクシーの運転手さんが身振り手振りでなにやらホテルに連れて行ってくれるとか。
こうなったら、頼るしかなくお願いすることに。不安いっぱいです。
大きなホテルの前に車が泊まり、歩いてついて来いと。ところが彼は入口に入らずにどんどん裏の方に歩き出すのです。従妹に荷物を見張っていてもらい一人付いて行くことに。
不安マックス状態。少し離れて付いていくとホテルの裏口と思われる所を彼は入って行きました。道路で待っていると、調理人のような人と運転手さんが出てきて空室あると。全てゼスチャー会話(トホホです)
やっと正面の入口からホテルに入り、泊まれることになりました。全くひどい日でしたが、ホテルはクラシックな雰囲気のあるお部屋で、ホテルの裏には生演奏が聴けるハンガリーらしいレストランがあり、ここでやっと美味しい食事にありつけました。
タクシーの運転手さんが指揮者の小林を知っているかと尋ねました。小林研一郎さんが当時ハンガリーにいたのです。

翌日は現地のツアーを予約し、ロシア語なまりの英語のガイドでツアーに参加し、ブタペストの観光をしました。コンチネンタルホテルから眺める景色は今でも忘れられない美しさでした。

次は夜行列車で東ドイツのドレスデンに向かいます。続きは次回に

0 件のコメント: