2012年10月4日木曜日

南イタリア マテーラ編

7時45分にお迎えが来ます。ホテルの朝食は7時半から。前日に交渉すると7時10分に朝食を用意してくれました。
海が見えるテラスでの朝食。もっとゆっくり優雅な気分でお食事したかったですが。。。

車でサレルノまで行きました。海沿いの山道を通ります。
こちらに来てからずっと良いお天気が続いています。地中海は海水の温度が高いのでしょうか
、毎朝海の上にもやがかかっています。

サレルノは大きな街で港も大きく、コンテナが沢山積み上げられていました。

9時35分発のTARANTO行きの列車に乗ります。4番ホームからの出発でしたが、このホームにはエレベーターがなく、重いスーツケースを階段で上がるのは大変でした。

トイレは1番ホームにあります。我慢すれば使える程度の清潔度。イタリアは駅のトイレは綺麗とは言い難いです。むしろ列車の中の方が綺麗でした。

ホームの電光表示に列車番号と最終駅名と発車時間とホームが表示されます。間に意味の分からない10という数字が表示されました。

ホームが変更になったのかと思いましたが、10番までのホームはなく、暫くして10分遅れになっていることが判りました。

ホームでタバコが吸えるので灰皿のそばで吸っていたら、たばこをおねだりされました。
仕方ないので1本あげました。暫くして彼は他のホームに行きました。
???なんでいたの???

指定席でした。それほど混んではいませんでしたが、私の席に若者が座っていました。違うんじゃないっていうと、自分の切符を確認してました。通路挟んで反対側だったようです。

4人掛けの席には折り畳み式のテーブルがあり、今までの旅記録整理にはとても便利でした。
12時2分に降車駅フェッランデーナ駅に到着予定でしたが、20分遅れぐらいに到着。

駅でお迎えのドライバーが判るかしらと心配でしたが、小さな駅ですぐに判りました。

乗用車、ランチャでお迎えです。ランチャに乗るのは初めてだったので、嬉しかったです。

この駅からマテーラは近いのかと思っていたら、かなりとばしても1時間くらいかかりました。

先史時代から歴史のある町で、洞窟住宅群サッシも旧石器時代から造られ、今でも住居として使われています。1993年に世界遺産になりました。
第二次大戦後~しばらくは貧民街となり、乳児の死亡率50%という時代もあったそうです。
次第に荒れ果てて人が住まなくなってきた1980年代後半にマテーラ市が現在の状態に
整備し始めたのです。

今夜はこの洞窟のホテル LOCANDA DI SAN MARTINOに泊まります。
 

ホテルの部屋
ホテルの部屋の入口
ホテルの部屋の前の道 。ちなみにここは3階です。
ホテルの中庭を上から見た映像
 


建物はみな同じような色・形です。車が走れる道も少なくほとんどが階段の連続です。
建物の2階部分が道になり、更に3階、4階部分も道が建物のと一体化していて、地図を見ても
自分の居場所を確認するのは難しいです。おまけに先がそびえたつ建物で見えないので
、行ってみないと行き止りなのかも判りません。
ホテルで地図はもらいました。取りあえず目標になりそうなカテドラルに向かってみました。

近くにレストランを見つけたので、まずは腹ごしらえを
ここでこの旅初めての日本のツアーの方々に遭遇しました。英語が通じなかったですが、美味しいお店でした。

DUOMO広場まで、迷路ゲームのように、こっちかな。。×。。。やり直しと行ったり来たり、階段を上ったり下りたりしながら、なんとか辿り着きました。
社会見学?の子供たちがいました。
ここは街でもかなり高所の所です。ここまで歩いてこの街がかなり手ごわいことに気が付きました。次はインフォメーションを目指しましたが、これが地図通りにはありません。地図を見ると街の囲むような道がありました。とりあえずそこまで出てみました。暫く行くとインフォメーションがありました。

Casa Grotta di vico Solitario グロッタさんの家 当時の生活様式を見れる家の場所を聞きました。地図と地球の歩き方では発見不可能な場所でした。
1700年初期に建てられたそうです。

サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会の右わきに沿った道を入った所にありました。

この時代は家畜と人間は同じ家の中で生活していたので、ベッドの下には鶏が飼われていてベッドの足は高くしてあったそうです。この反対側にはなんと馬が飼われています。
たい肥や藁置き場も家の中にあり、これでは衛生状態も悪いわけです。
日本にも昔は家畜小屋が家につながる場所にある曲り家がりましたが、こんなに共存ではなかったのでは。。。


ここでは日本語のテープがあったようですが、ドイツ人の団体さんと遭遇した為、聞くことが出来ませんでしたが、日本語の説明書をくれました。
この家も1956年まで生活されていたそうです。

サッシ移動計画が国管理で行われ、当時3万人いた住民の半数以上が、法律に従って1953年~1968年の間に新街地に移住しました。住民は新居を提供され、旧住居の所有権も与えられるなどして、移動計画は実現したそうです。

このそばにはMADONNA DE IDRIS E SAN GIOVANNI IN MONTERRONE
という二つの教会が一つになった岩山のような教会があります。ここはアメリカ映画、パッションのロケ地になった所です。メルギブソン作でキリストの「受難」をテーマにした映画です。
写真撮ったはずでしたが、ありません。マテーラ旧市街の模型です。写真の上でクリックすると拡大なります。
対岸にも洞窟が見えます。
間は渓谷になっています。

階段状のサッシの雨水や湧水を地下水路で集積し貯水槽にためるという、土のない街での驚くべき施設がありました。La  Vaccalta Delle Acque
入口を入った空間はマテーラ出身の聖ヨハネの生家で死後旧ブルガトーリオ教会の神具室として利用されたそうです。教会奥の階段を下った先に巨大な地下貯水漕があります。
1846年に当時の司教の願いで、カヴェオーソ地区の住民の公共の給水所として建造されたそうです。
写真では判りにくいですね。

Museo Nazionale d’Arte  美術館に出ました。
ここに出たら普通の街   どうやら新市街に出たようです。サッシの街が見えません。
何か所かビューポイントを見たので、ホテルに戻ることに

国立ドメニコ リドラ博物館の道を進むと、Vittorio広場に出ました。普通にブティクや食料品店・銀行などあります。
広場から見たサッシ

ちょっと前までわずかな土産物屋とレストランがあるだけの何もない街、住んでる人は買い物大変ねって話したばかりなのに、狐に騙されたよう。

広場にあるインフォメーションでホテルのあるサッシへの行き方を尋ねると、すぐ左手にある新聞売りのスタンドの脇の階段を下りると、ホテルの前の道、Via Fiollentino に行けるとのこと

階段を下りたらタイムスリップしたようにサッシの中に出て、しかもホテルもすぐ近くにありました。


ホテルで聞いたお薦めのレストラン  NADIに行きました。

住所 Via Fiorentini ,1/3
tel  0835 33 28 92
 


                 前菜の盛り合わせ
きのこのリゾット
ステーキのルッコラ添え、白く見えるのはチーズです
パンも色々です。

部屋から見たドウモウの夜景
サッシの中はバスもタクシーもありません。自力で歩くしかないのです。体力に自信がある内に行って下さい。
難度高いですが面白い街でした。明日はいよいよ最後の街、アルベロベッロに行きます。



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