子供たちが明るいお部屋や、庭で元気に遊べるようになるのも、もう少し
わくわくします。代表の里見さんもここまでも手続きやお金の心配や、ご苦労沢山あったことと思います。これからもまだまだ頑張らなければならないことだらけだと思いますが、
倒れないようにご自身のお身体も大切にして欲しいですね。
まだまだ、皆さんのお力を必要としています。ご協力宜しくお願いします。
いつものように気仙沼の高橋さんからのご報告をお伝えいたします。
新園舎、田んぼの中にあります。周りには民家があります。ご近所の方も子供たちの声が聞こえるのを楽しみにして下さっているそうです。
地元紙三陸新報にも掲載されました。
震災でお亡くなりになったばあちゃん先生、故小松セイ子さんは「困っている人を助ける」を信条に
規制に縛られない自由な保育をしたいと認可外にこだわっていた方だったそうです。
熱を出した園児を自ら自宅に送り届けるなど、細やかな配慮のある保育をなさっていた方。
その意思を継ぎ震災後開設当時は11人だった園児も、今では35人に
4月からは日曜保育が無いということで、日曜保育も始めました。
他の保育園に通う子も、時間外は預かっているそうです。
「子供の為、復興を担う父母のために」
何を必要とされているかを模索しながらも、日々前進し続けています。
1967年羽越水害の時に普及工事を行い、社業発展した山形の建設業者が「被災地への恩返しに」
と子供たちの保育環境を少しでも改善してほしかったという思いで、今回、新園舎建設をして下さいました。里見代表は「助けたいという思いが、助けられるにつながり、亡き理事長の教えが形になり
現れてくれた」と喜びを語っています。
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